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dead simple
TVドラマ作品1・その他(1960s〜1970s)

Suspect
(TVムービー)

▲主演のレイチェル・ケンプソン
【スタッフ】
製作・監督・脚本/マイク・ホッジス
製作総指揮/ロイド・シャーリー
撮影/マイケル・ローズ
美術デザイン/パトリック・ダウニング
編集/マイク・テイラー
音楽/ノーマン・ケイ

【キャスト】
レイチェル・ケンプソン(フィリス・シーガル)
ブライアン・マーシャル(マーク・シーガル)
ジョージ・シーウェル(バーンズ警視)

[1968年イギリスTV映画/カラー/80分/スタンダード/テムズTV制作]
日本未公開


Story

 ある小さな村で、11歳の少女が失踪する事件が起きた。同じ頃、フィリス(レイチェル・ケンプソン)の夫も姿を消す。警察による捜索が始まり、フィリスは消えた夫が誘拐殺人犯なのではないかと疑う。やがて、少女を殺した犯人が逮捕されるが、それはフィリスの夫ではなかった。彼女は捨てられたのだ。


About the Film

■シャブロル・タッチの破局劇
 テムズTVの「Playhouse」シリーズの一編として制作された、ホッジス初の長編ドラマ。彼の好むクロード・シャブロル風のサスペンス・ドラマで、少女誘拐殺人をモチーフにしつつ、中流家庭の崩壊をシンプルに描き出す。TV作品だがビデオを使わず、全て16mmフィルムでオールロケ撮影された(当時のイギリスでは、ほとんど初といってよかった)。本作が好評を博したため、ホッジスはすぐに次回作を撮るチャンスに恵まれた。なお、この作品は2009年にイギリスで発売されたDVD「Armchair Cinema Collection」に収録されている。



Rumour
(TVムービー)

▲主演のマイケル・コールズ
【スタッフ】
製作・監督・脚本/マイク・ホッジス
製作総指揮/ロイド・シャーリー
撮影/ダスティ・ミラー
美術デザイン/パトリック・ダウニング
編集/ピーター・リー・トンプソン
音楽/ムーディ・ブルーズ

【キャスト】
マイケル・コールズ(サム・ハンター)
ヴィヴィアン・チャンドラー(リザ)

[1969年イギリスTV映画/カラー/80分/スタンダード/テムズTV制作]
日本未公開


Story

 シニカルで野心的なタブロイド記者、サム・ハンター(マイケル・コールズ)は、謎の死を遂げた娼婦リザ(ヴィヴィアン・チャンドラー)をネタに、スキャンダル記事を書き上げようとしていた。それは政界をも巻き込んだ大スクープであり、サムの記者人生を変えるほどの特ダネになるはずだった。彼はロンドンの地下世界へもぐりこみ、強引に事件の闇へと迫っていく。だが、知らず知らずのうちに自身も政治家たちの陰謀に巻き込まれ、やがてはリザと同じ運命を辿ることになる。


About the Film

■ニュータイプの犯罪スリラー
 マイク・ホッジスが製作・監督・脚本を手がけたスリラードラマの第2弾。一人の娼婦の死をネタに、暗黒街と政界のコネクションを暴こうとする、命知らずなジャーナリストの活躍をクールに描く。

 本作は1969年度のイタリア国際TVドラマ賞で、最優秀作品賞にノミネート。TV作品の枠を超えた完成度の高さが評判となり、『狙撃者』の監督を探していたプロデューサー、マイケル・クリンガーの目に留まることになる。

 また、前作『Suspect』とあわせて、ホッジスが撮った2本のリアリスティックな犯罪スリラーは、後に製作された刑事ドラマシリーズ『The Sweeny』(1975-1978)のプロトタイプとなった。もちろん同作は『狙撃者』からの影響も多大に受けている。『Suspect』『Rumour』は、2009年にイギリスで発売されたDVD「Armchair Cinema Collection」に初収録された。


Production Note

■リアリズムと即興性
 本作の撮影は全てロンドン市内でおこなわれ、ほとんどのシーンは望遠レンズで撮影された。監視カメラのような窃視的視線とドキュメンタリータッチの映像感覚は、そのまま次の『狙撃者』へと受け継がれるものである。また、主人公の死を暗示するディテール(オープニングに現れる映画『さよならコロンバス/Goodbye Columbus』の看板など)を大胆に配置する演出も、この作品からすでに顕著だ。

 ホッジスは『Rumour』のアヴァンギャルドな映像スタイルを、敬愛するジャン=リュック・ゴダール作品へのオマージュだと語る。

ホッジス「彼が映画に持ち込んだ自由さが好きなんだ。ストーリーがわき道にそれたり、同じショットが繰り返されたりする手法は、きわめて直観的なものだ。事実、『Rumour』はゴダールに捧げられるべき、そうした自由さを感じながら撮った作品だった。たとえば、私は撮影のためにブラックウォールのトンネルを毎日行ったり来たりしていたんだが、その都度なんとも奇妙な感じを受けていた。そこで、使うかどうかは分からなかったが、とりあえず車にカメラを取り付け、トンネルに出入りする画をいくつか撮っておいたんだ。そして編集時、その素材を前にして閃いたのさ。トンネルは地獄の坂道への入り口だ、とね。私はその画を作品のオープニングとエンディングにつなぎ、T・S・エリオットの一節を引用した。“われわれは今、ドブネズミの通り道にいる”と。即興性は作品に命を吹き込む上で、非常に大切な要素なんだ」

▲『Suspect』『Rumor』を収録した英国盤DVD『Armchair Cinema The Collection』ジャケット



The Frightners:“The Manipulators”
(TVムービー)

▲主演のブライアン・マーシャル
【スタッフ】
監督・脚本/マイク・ホッジス

【キャスト】
ブライアン・マーシャル
スタンリー・レバー
デイヴィッド・スタンリー(アレクサンダー・モートン)

[1971年イギリスTV映画/スタンダード/カラー/26分/ロンドン・ウィークエンド・テレビジョン制作]
日本未公開


Story

 肉屋の2階にある一室。二人の男が、向かいのアパートの部屋を観察している。そこには貧しい若夫婦と幼い子供が暮らしていた。観察者たちは、一家のもとに怪文書を送ったり、匿名の電話をかけたりして、家庭内の空気を悪化させていく。そして、その様子を黙々と記録し続けるのだった。

 ついに、錯乱状態に陥った夫が妻子を殺そうとする。それを見て、観察者の一人は思わず計画の中止を叫ぶが、実はテストされているのは彼らの方だった。失格した男は“始末”され、階下の肉屋へと運ばれる。


About the Film

■冷徹な客観性のドラマ
 『狙撃者』をヒットさせた後、ホッジスがロンドンウィークエンドTVの30分番組「The Frightners」の一編として製作した掌編。政府に監視され、システマティックに狂気へと導かれる家族と、彼らの破滅を目標として職務を遂行する役人たちの姿を描く。ホッジス作品の特徴的オブセッションであり、後の『電子頭脳人間』(1974)にも通じる、冷徹な客観性のドラマだ。物語の不条理性と皮肉なオチ、そして人間性への非情な視点は、ハロルド・ピンターの作品も想起させる。

 イギリスでは2017年に「The Frighteners」の全話収録DVDが発売された。ホッジス監督編『The Manipulators』も、もちろん収録されている。


Production Note

■成功の戸惑いを、恐怖劇に
 大勢の観客で埋め尽くされた『狙撃者』上映館の客席を覗いたホッジスは、スクリーンを一心に見つめ、ヴィヴィッドに反応する人々の姿を見たとき、一抹の戦慄を感じた。

ホッジス「自分の作品を千人もの観客が観ている光景なんて、初めて見たからね。TV時代は視聴者の顔を実際に見ることができなかったし。『The Manipulators』はある意味、『狙撃者』の成功に対する私なりの反応だ。それはある種の恐怖だった。自分のやっている映像の仕事がどれほど他人に対して影響力を持つか、そして、いかに人が感情を操作されやすいかを知ったんだよ」

 ホッジスはミニマムな実験ドラマの現場に立ち返り、本人曰く「ひどく風変わりで、冷たい作品」の製作を楽しんだ。操作される若い夫を演じたデイヴィッド・スタンリーは、後にアレクサンダー・モートンの名で『ルール・オブ・デス/カジノの死角』(1998)の支配人レイノルズ役を演じている。

ホッジス「“なぜ映画で成功した直後にTVの短編なんて撮るんだい?”とマイケル・ケインに訊かれたことがある。私はその時自分のやりたいことをやったまでだが、彼には謎を与えてしまったようだね。私はTVの30分ものというフォーマットが好きなんだ。まるで宝石みたいだからね」

▲『The Manipulators』を収録した英国盤DVD『The Frightners』ジャケット



Mid-Atlantic
(未映像化シナリオ)

About the Script

■『The Pit』との出会い
 『電子頭脳人間』(1974)が失敗に終わり、英国に戻ったマイク・ホッジスは新たにオリジナル脚本を作り始めた。発想の元となったのは、L.A.にいた時に出会った1冊のノンフィクション本である。タイトルは『The Pit』。

 ホリデイ・マジック社というディスカウント化粧品セールス会社では、社員たちに対する「自己改善セミナー」がおこなわれており、週末になると、十分な成績を上げられなかった者を集めては“リーダーシップ力学”を理解させるためのプログラムが催されていた。『The Pit』は、そのセミナーが間違った方向に導かれたケースを、克明に記録した本である。

■ショック集団
 社員たちはホリデイ・インに集まり、会議室を貸り切った。窓は密閉し、外界を一切遮断。男性と女性は別々の部屋に分けられた。各部屋には、天井から首吊り用の縄が1本ぶら下がり、棺桶がひとつ置かれ、人間が入れるほどの大きな檻もある(心理的効能を促すため)。彼らはお互いに口を利いてはならず、タバコも吸えず、電話も許されない。もしルールを破った者を発見した時は、すみやかに専門のインストラクターに通報しなくてはならない。

 金曜の夜から日曜の夜にかけて、インストラクターは彼らに一睡も与えず、定期的に詰問を繰り返す。もしも参加者に何の向上心もみられない場合、つまり「死んでいる」と判断された場合、その社員は棺桶に閉じ込められる。数名の社員がふたの上に乗り、どんなに暴れても出られないようにする。数時間後、やっと外に出してもらえると、その社員は当然「生きている」と実感する、という仕掛けだ。

 さらにエスカレートすると、裸にひん剥いた社員を檻の中に入れ、上からホテルの残飯を浴びせかけた。その社員がマゾヒストであると分かれば、首に縄を掛け、しばらく吊った。

ホッジス「この話は、最近よくある自己啓発セミナーの類よりもずっと前に起こった事件だ。無知な人間から1000ドルを巻き上げるといった、ごく一般的な話さ」

 インストラクターは、無能な社員たちを容赦なく叱責した。彼らの持っている車、家、財産のレベルを全て否定し、さらに上を目指せとけしかけた。結果的に、彼らは“達成者”に生まれ変わって、明日からのセールス業務に取り組むのだ。

ホッジス「まさにアメリカンドリームが悪夢に転ずる、完璧なメタファーだ。当然、週を追うごとに、セミナーはどんどん暴力性を増していった」

■イギリスでも……
 ホッジスはワーナーブラザーズの重役に『The Pit』の映画化企画を持ち込んだが、反応は悪かった。というより、激しく嫌悪された。

ホッジス「ほとんど怖がってたよ(笑)。ただし、それは私が感じたような恐怖ではなかった。こんな不愉快で、そのうえ神聖を汚すような、行きすぎた資本主義ライフスタイルを見せつける映画を作ったところで、一体誰が観に来るというんだ、ってね」

 イギリスに戻ったホッジスは、友人が教えてくれたニュースに驚いた。似たような事件が1974年にロンドンのホテルで起きたというのだ。

ホッジス「その時は現場にレポーターが潜入していて、セミナーの途中で正体を明かし、主催者を糾弾したらしい。セミナーを手配した人間は、アメリカに逃げ帰ってしまった。その話を聞いた時、私は新たにストーリーを書こうと決めたんだ」

■新たなストーリー、魅力的な配役
 シナリオのタイトルは『Mid-Atlantic』。言動などが英米混合の、両方の特徴を兼ね備えている、という意味の形容詞である。

 舞台は季節はずれのリゾート地。主人公はしがない宣伝マン、マーク・マイルズ。いつの日かアメリカに行って成功することを夢見る彼は、憧れのあまり、英米混合(=Mid-Atlantic)の訛りまで身につけている。そんなとき、彼に思わぬチャンスが訪れた。町にやってくる米国企業団体との交渉役を頼まれたのだ。彼らは町のホテルで研修セミナーをおこなうというのだが……。

ホッジス「物語のラストは事実に則している。アメリカ人たちは英国から姿を消し、ただ打ち寄せる波だけが海に残っている。我らが主人公は、身をもって米国文化の現実を知るんだ。映画はブラック・コメディになるはずだった。それ以外、なりようがないだろ?」

 主人公マイルズ役は、マルコム・マクダウェルが演じる予定だった。イメージ的には、リンゼイ・アンダーソン監督の快作『オー! ラッキーマン』(1973)を思い出させるキャスティングである。この作品で、マクダウェルは社会の不条理に翻弄されまくる若者を演じた。

 また、セミナーを指導する怪しげな男ハーマン・テンプル役には、ジャック・ニコルソンが考えられていた。当時『シャイニング』(1980)の準備でイギリスに滞在していたニコルソン本人も、ホッジスの書いたシノプシスに興味を示していた。スタンリー・キューブリック作品の狂えるヒーローの競演……なんと刺激的なカップリングだろうか!

■痛恨の挫折
 だが、1974年から始めて4年間を費やしたあげく、企画は実現しなかった。さらに、現地イギリスでの社会情勢の変化が、ホッジスのモチベーションを粉々に打ち砕いた。

ホッジス「1979年に、マーガレット・サッチャーが首相に就任した。それっきりさ! もし今あのシナリオを読んでみれば、なんと明白な事実ばかり書いてあることか、と思うはずだよ。もはやわざわざ映画にする理由もなくなってしまった。全て現実に起こったのだから。我が国は、こすっからい資本主義者たちのための、陳腐なテーマパークと化してしまった。『Mid-Atlantic』のシナリオを練っている時、イギリスには金について話す人間なんてほとんどいなかった。映画の題材も、その当時では“常軌を逸したもの”と思えたんだ。TVのニュースで、ファイナンシャルタイムズ紙の記事やら、ダウ平均株価が流れることもなかった。私が最初にアメリカを訪れた時、金に対する国民的なオブセッションの強さに驚かされたものだ。会話のどこかでドルのサインが点灯した途端、さっきまで親しげだった目は、いきなり泥棒じみた目つきに変わる。この国も同じようになるなんて、思いもよらなかったよ。一体どこで間違ったんだ?」

 『Mid-Atlantic』は、ホッジスが制作会社EMIで雇われ監督として『モロン』(1985)を手掛けた時、バーターで制作再開が予定されていたこともあった。しかし、プロデューサーが辞任してしまったため、結局陽の目を見ることはなかった。



Say Goodnight, Lilian―Goodnight
(未映像化シナリオ)

About the Script

■スタンダップ・コメディ+女性映画
 『Mid-Atlantic』が頓挫し、代わりに飛びついた『オーメン2/ダミアン』(1978)が途中降板という手痛い結果に終わってしまった後、ホッジスは2本のプロジェクトを抱えて奔走した。1本は『Blood and Thunder』。劇作家リリアン・ヘルマンと女性活動家ジュリアの交流を描いた『ジュリア』(1977)の成功を受けて、ヴァネッサ・レッドグレイヴとジェーン・フォンダの2度目の共演作として企画された作品である。しかし、これもスタジオからの興味を得られず、ポシャッてしまった。

 もう1本が、やはり女性を主人公にした『Say Goodnight, Lilian―Goodnight』。こちらは、L.A.のコメディクラブの舞台に出演する女性コメディアンを描いたドラマである。

ホッジス「70年代半ば、私はスタンダップ・コメディの魅力にとりつかれていて、週に3〜4回はサンセット大通りのコメディクラブに足繁く通っていた。出演者は誰でも良かった。とにかく私はコメディアンたちの露骨な厚かましさを見るのが好きだったんだ。いわゆる吹きだまりの人間たちが見せる、傍若無人なパフォーマンスは、毎晩私を驚かせた。まるで観客を相手にした闘牛だったよ」

■逆転人生
 コメディアンを主人公にしたストーリーの着想を得たホッジスは、『Say Goodnight, Lilian―Goodnight』と題した脚本を書き上げた。そのオープニングシーンは、次のようなものである。

 豪奢な邸宅に暮らす裕福な女性が、ある日ひとりで町に出かけ、いかがわしい連れ込み宿に部屋を取る。そこで彼女はセクシーな衣装に着替え、厚化粧を塗りたくり、金髪のカツラをかぶって、まったくの別人に変身する。そして彼女が次に向かった先は、ストリップクラブだった。

ホッジス「観客はすぐに、この女性が娼婦なのではないかと疑うだろう。実際、彼女はその姿でクラブのステージに立つ……だが、そこで始まるのは、ストリップダンスの幕間の“漫談”なんだ」

 彼女の十八番とするトークは、夫に対する痛烈な悪口であった。彼女には実際、金持ちの夫がいて、その夫婦生活のフラストレーションを話芸に“活用”していたのだ。ステージでは架空の存在ということになっていたが、それをひとりのゴシップ屋がかぎつけ、彼女の隠された私生活を暴いてしまう。L.A.で成功したビジネスマンの男が、知らないところで妻の辛辣なジョークのネタにされている、という残酷な事実を。

ホッジス「夫婦は仲違いし、面目を潰された夫は引きこもってしまう。一方、彼女はコメディアンとしての成功をつかむ。2人の立場はすっかり逆転してしまうわけだ。さながらジョーン・リヴァース(米国の人気パーソナリティ)のように、彼女がラスベガスで大々的にショーを開いている間、夫は破産宣告を受けていたりする。だが、物語の結末は甘く苦いものだ。名声を追い求め続けたヒロインは、結局は闘いに敗れてしまうのさ。彼女が最後に批判のターゲットにするのは、有名になりたい自分と同じ、セレブリティ・マニアの見苦しい狂乱ぶりなんだ」

■すべて台無し
 ホッジスはこの作品の主役に、キャロル・バーネットを考えていた。彼女は60〜70年代に人気番組「キャロル・バーネット・ショー」のMCを務め、ロバート・アルトマン監督の『ウエディング』(1978)や、ジョン・ヒューストン監督の『アニー』(1982)にも出演したマルチタレントである。

ホッジス「だがプロデューサーたちは、彼女の芸風に不安を持っていた。そこで彼らは、ベット・ミドラーのショーを書いていたライターを連れて来たんだ。まったくの愚行だよ。彼女の演じるコメディは、彼女自身のパーソナリティと切り離せないものなのに! もちろん彼らはすべてを台無しにしてしまった。私の企画はまたしてもぶち壊されてしまったんだ」

 ホッジスの書いたシナリオは、様々なスタジオをたらい回しにされたが、結局は映像化されなかった。数年後、コロムビア・ピクチャーズが女性コメディアンを主役にした映画『パンチライン』(1988)をサリー・フィールド主演で製作したとき、ホッジスの脳裏には少なからず疑惑の念が湧いたという。

ホッジス「今でも、私は『Say Goodnight, Lilian―Goodnight』の内容については自信を持っている。このシナリオもまた『Mid-Atlantic』と同じように、私自身のアメリカに対する観察に基づいているんだ。まるで増殖する植物に呑まれていくように、人々の間で空虚なセレブ志向が広まっていくのを見るのは、とても興味深い。不幸なことだが、かの国で起きたことは、いずれ他の国でも同様の事件として起きる。アメリカ文化は世界中に伝染するのさ」

 この作品は、ホッジスにとって初の女性映画になるはずだった。彼が女性キャラクターの描写にも優れていることは、後にロザンナ・アークェット主演の傑作『ブラック・レインボウ』(1989)で如実に証明された。しかし、彼の女性に対するあまりに苛烈な視点は、スター女優からは敬遠されたようだ。

ホッジス「ハリウッドの女優たちは、よく“魅力的な女性の役が少ない”と不満をこぼしている。だけど私は、これまで女性にとっていい役をたくさん書いてきたつもりだ。が、そのシナリオが、目を背けがちな問題の核心を突いていたり、題材が重すぎたりした場合、女優たちはたちまち関心を失ってしまう。自分のイメージの方がより大事だからね。『Say Goodnight, Lilian―Goodnight』でも、『Blood and Thunder』でも、『ブラック・レインボウ』でも、私は同じような経験をした。悲しいかな、それが事実だ」


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