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dead simple
Get Carter
『狙撃者』


【スタッフ】
監督・脚本/マイク・ホッジス
製作/マイケル・クリンガー
原作/テッド・ルイス
撮影/ウォルフガング・スシツキー
編集/ジョン・トランパー
音楽/ロイ・バッド

【キャスト】
マイケル・ケイン(ジャック・カーター)
イアン・ヘンドリー(エリック・ペイス)
ジョン・オズボーン(シリル・キニアー)
ブリット・エクランド(アンナ・フレッチャー)
ジェラルディン・モファット(グレンダ)
ドロシー・ホワイト(マーガレット)
ペトラ・マーカム(ドーリン)
アラン・アームストロング(キース)

[1971年イギリス映画/カラー/112分/ヴィスタ/モノラル/MGM=EMI制作]
日本公開:1972年2月(MGM配給)


Story

 凄腕のギャングとしてロンドンの暗黒街に名を馳せる男、ジャック・カーター(マイケル・ケイン)。彼は兄フランクの葬式に出席するため、故郷のニューカッスルへ戻ってきた。それが終わったら、愛人のアンナ(ブリット・エクランド)と共に、南米へ高飛びする手はずだ。

 フランクの死には謎が多かった。カーターは真相を知るべく、兄の娘ドーリン(ペトラ・マーカム)や、仕事場の同僚たちに話を聞くが、さしたる情報は得られない。そこで彼は競馬場へ赴き、顔見知りのチンピラ、エリック(イアン・ヘンドリー)に会う。あとをつけると、辿り着いた先は町の顔役キニアー(ジョン・オズボーン)の館だった。すばやく邸内に忍び込み、キニアーを始めとする町の有力者に「挨拶」するカーター。組織はさっそく彼を町から追い出そうと画策するが、大胆不敵なカーターの反撃の前には手も足も出ない。

 やがて、カーターをロンドンへ連れ戻そうとするボスの配下たちも町にやってきた。カーターは兄の愛人マーガレット(ドロシー・ホワイト)と会い、真相を問いただす。だがそこにも追っ手が現れ、すかさず逃走。キニアーの情婦グレンダ(ジェラルディン・モファット)に助けられた彼は、有力者ブランビーのもとへと連れて行かれる。カーターは、自分を勢力争いの道具に用いようとするブランビーの魂胆を即座に見抜き、グレンダと共にその場を去る。

 追跡劇の火照りも冷めぬうちに、ベッドで熱いひとときを愉しむカーターとグレンダ。彼女がバスルームに行っている間、カーターは1本のフィルムを見つける。そこに映っていたのは……全ての真相を知った彼の目に、涙が煌めいた。

 その瞬間から、カーターの非情な復讐劇が幕を開ける。



About the Film

■犯罪映画のニューウェーブ
▲『狙撃者』フランス公開版ポスター
 『狙撃者/Get Carter』は70年代屈指の傑作ハードボイルド映画である。主演は『国際諜報局』(1965)や『アルフィー』(1966)などで人気を博し、国際派スターに上り詰めたマイケル・ケイン。監督・脚本を務めたマイク・ホッジスはTV出身で、これが劇場デビューとなった。

 クールなギャングスターを演じるケインのカリスマ性、新鋭ホッジスのシャープな演出、そしてかつてないほどドライでリアルな犯罪社会の描写は、公開当時センセーションを巻き起こした。ロンドン暗黒街を支配したクレイ兄弟やリチャードスン一派など、伊達者のギャングたちが跋扈する当時のイギリスの世相をアクチュアルに反映した本作は、彼らと同じく「悪の魅力」で大衆を惹きつけたのだ。

 時代の気分を的確に切り取りつつ、魅力的なアンチヒーローの活躍をモダンにパワフルに描いた本作は、興行・批評面で好評のうちに迎えられ、スマッシュヒットを記録。クライム・ムービーのマスターピースとして認知され、カルトな人気作となった。凡百のアクション映画とは一線を画す暴力描写の衝撃性も、いまだに色褪せていない。

■ケイン・イズ・カーター
 この映画のマイケル・ケイン=ジャック・カーターは、何しろかっこいい。黒のスーツとトレンチコートの着こなしもスタイリッシュに、セクシーでタフな男の魅力を漂わせ、躊躇なくターゲットを始末していく非情の男。最初から勝つことしか知らない者の、ストレートで強靭なクールさである。

 だが、内面には屈折した心理も抱えていて、人間的に理解できるタイプではない。そんな通り一遍の主人公像とは違うカーター役を、ケインは見事に演じている。本作を彼のベスト・パフォーマンスと考えるファンは多く、ケイン本人も気に入っているそうだ。

■主役を引き立てるバイプレイヤーたち
▲M・ケインとG・モファットの2ショット
 そんな彼の強固な存在感を取り巻く男たちの、面構えのバランスも見事。いわゆる戯画的なタイプキャストが一人も紛れ込んでいない。仇役エリックを演じたイアン・ヘンドリーは、ケインと同じく60年代に英国映画界の注目株としてデビューした実力派俳優。また、町を牛耳るギャングの顔役キニアー役のジョン・オズボーンは、俳優ではなく本職は劇作家。1956年に初上演された『怒りをこめて振り返れ』でイギリス演劇界の潮流を変えた人物である。カーターと関わったおかげで酷い目にあう若者キースを演じているのは、後に『デュエリスト/決闘者』(1977)や『スリーピーホロウ』(1999)など、多くの映画・TVなどで活躍する名脇役、アラン・アームストロングだ。

 そして、硬質なドラマに花を添える女優陣の艶やかな媚態も見どころ。主人公の愛人役で顔を見せるのは、『ウィッカーマン』(1973)でおなじみのブリット・エクランド。あくまで顔見せ的な扱いなのは残念だが、ふんだんなヌードも拝めるので彼女のファンは必見。一方、エクランドとは対照的な魅力を発散するのが、キニアーの情婦グレンダ役を演じるジェラルディン・モファットだ。「秘書で情婦でポルノ女優でスゴ腕ドライバー」という設定がまずそそるが、最大の見せ場は何といってもカーアクション。ミニスカート姿で颯爽と車を転がし、華麗なドライビングテクで町を疾駆する彼女のかっこよさといったら! 濃厚なベッドシーンもあり、途中退場の仕方も最高にハードボイルド。

■「悪」の創り手――メインスタッフ
 製作のマイケル・クリンガーは、60年代にはロマン・ポランスキー監督の『反撥』(1965)や『袋小路』(1966)といった話題作を手がけ、一躍その名を轟かせた人物。本作の場合も、テッド・ルイスの書いた犯罪小説を出版前に買い上げ、TV出身の新人監督ホッジスを発掘して全てを委ねるという先見の明を発揮し、見事に作品を成功させた。

 撮影はベテランのウォルフガング・スシツキーが担当。舞台となるニューカッスルの煤けた町並みを、寒色系の映像でスタイリッシュに捉えている。ちなみに彼はその名前から分かるとおり、『ロッキー・ホラー・ショー』(1975)や『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』(1980)、デイヴィッド・クローネンバーグ作品などで知られる撮影監督ピーター・スシツキーの父親である。

 印象的な音楽を作り出したのは、ジャズピアニストであり、映画音楽も多数手がけるロイ・バッド。タイトルテーマ曲のシンプルなかっこよさは永遠不滅だ。そして、オープニングから何度となく繰り返され、映画の基調となるハープシコードのメランコリックな旋律も忘れがたい。

■アクションと心理スリラーの妙味
▲人間的なもろさも見せるカーター
 『狙撃者』はカーチェイスあり、銃撃戦ありの立派なアクション映画だが、同時に異色の探偵映画でもある。しかし、ここで描かれるのは犯人当てミステリではない。犯人探しのためなら手段を選ばない主人公カーターの行動そのものがスリルとなる。たった一人でためらいなく危険に飛び込んでいく彼の恐れ知らずのバイタリティは、観る者を惹きつけずにおかない。

 それと同時に、主人公のいびつな人間性を映し出す内面描写の数々が、見事なスパイスになっている。サイコティックな人間心理への傾倒は、ホッジスが生涯貫き通すことになる作風だ。しかしながら、きびきびしたドライな演出と冷めたユーモアのおかげで、サスペンスにずるずる執着しないところもまた独特。その辺りの妙味が、『狙撃者』を「70年代アクションの快作」といった単純評価に落ち着かせることなく、カルト映画たらしめている所以だろう。

■時代を超え、世界に広まった真価
 イギリス国内では前述の通り大ヒットを記録。一方、アメリカでは『大悪党ジンギス・マギー』(1970)との2本立てで上映され、2週間で劇場から姿を消した。日本でも、ごくありふれたアクションスリラーとして数週間興行されたのみである(上映館は丸の内松竹、新宿ロマン劇場ほか)。

 しかし、その後のTV放映や名画座などでの上映によってカルトな名声を高め、『狙撃者』はいつしか「犯罪アクションの逸品」として世界的に認められるようになった。1999年に英国映画協会が選んだ「20世紀のベスト英国映画100作品」では、16位に選出。制作から30年以上を経た現在でも、DVDなどでファンを増やし続けている。

 欧米で発売されたDVDには、監督のホッジスと主演のケイン、撮影監督スシツキーの音声解説の他、予告編やロイ・バッドがテーマ曲を演奏する特別版トレイラーも収録。ファン必携の1枚となっている。しかし、日本では公開以来、ビデオ化もDVD化もされていない(2006年4月現在)。一刻も早く国内でリリースしてもらいたいものだ。


▲日本公開時のチラシ
【追記:2016年6月】 ついに、ようやく、復刻シネマライブラリーから『狙撃者/Get Carter』の国内盤DVDが初リリースされた(2016年3月14日発売)。このサイトを立ち上げてから足かけ10年! 長かった……。本編のみ収録、オンデマンド製造のDVD-Rという限定的リリースだが、めでたいことには変わりはない。これまで『狙撃者』ソフト発売のために尽力された、すべての方々に感謝を。
▲『狙撃者/Get Carter』日本盤DVD-Rジャケット

Production Note

■カーターとの出会い/3人のマイク
 スウィンギング・ロンドンの終焉、1970年代の幕開け。巷ではギャングたちの派手な「活躍」が毎日のようにマスコミの話題となり、中でも“トップスター”であった暗黒街の帝王・クレイ兄弟の裁判には、ただならぬ注目が集まっていた。

 映画プロデューサーのマイケル・クリンガーは、そんな世間の関心にマッチした企画を探していた。あるとき、彼はテッド・ルイスの書いた魅力的な犯罪小説『ジャック・カーターの帰還』と出会う。その映像化権を出版前の段階で買い上げたクリンガーは、すかさず映画化の構想を練り始める。やがてMGMのヨーロッパ支局も企画に興味を示し、正式に製作がスタート。クリンガーは主役をマイケル・ケインにオファーし、役柄が気に入ったケインはすぐ契約書にサインした。

ケイン「カーターのキャラクターは、私立探偵と極悪非道なギャングスターの巧みな融合だ。これは私にとってアルフィー以来、もっとも強く惹かれる役だった」

 さらにクリンガーは本作の製作にあたり、今までにないリアルで辛口の犯罪アクションを撮れる監督を探し求めた。そんなとき、TVドラマ『Rumour』(1969)に感銘を受けた彼は、監督のマイク・ホッジス(当時38歳)と会見し、手ごたえをつかんだ。

ホッジス「1970年1月28日、クリンガーから一冊の本と手紙が届いた。そこには“これを脚色して、監督してくれないか”と書いてあった。私は小説を読み、その依頼を引き受けたんだ」

 主演のケインも『Rumour』を観てホッジスの力量を認め、彼が監督を務めることを承諾。こうして、イギリス映画史に残る快作を生み出す“3人のマイク”が勢揃いしたのだった。

■絶好のロケーション
▲印象に残るニューカッスルの景観
 まずホッジスにとって重要だったのは、映画の舞台となる町を探すことだった。そこは主人公カーターにとっては過酷な出自を思い出させる、時の止まった場所でなくてはならない。寒々しく貧しい、人間性を欠いたモラルなき世界……そうして思いをめぐらせたとき、彼は海軍時代に見た東海岸の光景を思い出した。

 クリンガーと2人、車でロケハンに出かけたホッジスは、急速な土地開発で様変わりした地域の様子に、驚きを隠せなかった。が、ニューカッスル周辺にはまだ煉瓦造りの古い町並みが残っていた。ホッジスはたちまちそこが気に入り、クリンガーがロンドンに戻った後も現地に残って、ロケハンを続けながら脚本を仕上げていった。

 その町に、フェデリコ・フェリーニ監督の映画と同じ「La Dolce Vita(甘い生活)」という店名のパブがあったのも、フェリーニの熱狂的ファンであるホッジスには幸運を感じさせた。さらにその数年前には、店の近くで実際にギャングがらみの殺人事件があったという事実も、大きなインスピレーションとなった。劇中に登場するキニアーの邸宅は、事件の関係者が実際に住んでいた屋敷であるという。

 かつての町並みを残す一方、開発の波は着実にここにも押し寄せていた。その裏で私腹を肥やしているのは一体誰か? 腐敗した灰色の町――それが、この町でホッジスの嗅ぎ取った空気だった。実際、完成した映画には警官がほとんど登場しない。明らかな政治的主張こそないものの、ギャングたちの裏稼業と地元の開発事業が密接に結びついている空気は、色濃く映画に表れている。それは時代のリアリティでもある。

■スターの存在感
 『狙撃者』の撮影スケジュールは40日間。その現場は、ホッジスにとってTVとは全く違うフィールドだった。第一に、そこにはスターの存在があった。

 マイケル・ケインは、ホッジスが初めて組んだスターだった。彼との最初のリハーサルをおこなったとき、ホッジスは「今までの方法論ではダメだ」と悟ったという。

ホッジス「少しうぶに聞こえるかもしれないが、その瞬間“スターを撮る”ってことの重大さがのしかかってきた。存在感が全く違うからね。これまでみたいに、無名の俳優を相手にしたリアリズム優先の撮り方では通用しないと思い知らされたんだ。一体どう撮っていけばいいのか、見当も付かなかったが……とにかく、凄く興奮していた」

■配役の妙
▲キニアーを演じたジョン・オズボーン
 ホッジスは、カーター=ケインを取り巻く登場人物のキャスティングも自ら仕切った。町を支配する顔役キニアー役に、劇作家のジョン・オズボーンを起用したのも、彼ならではの発想だ。原作では「信じられないほど太った大男」と記述されていたが、ホッジスの考える暗黒街のリアリティに基づき、細身で知的な印象を与えるオズボーンが役に据えられた。ちなみにオズボーンは劇作家になる前は役者としても活動しており、ケインとはその頃からの友人だそうだ。

ケイン「彼はキニアー役を楽しんで演じていた。ちょっと鼻にかかった、薄気味悪い独特の声を生かしてね(笑)。もちろん役の上で出してる声だから、本当は違うよ。彼の演技スタイルは寡黙で、動きも少なく、落ち着き払っているが、とても力強い。その内面にある人間性を知れば、とても素晴らしい男だと分かるはずだよ。もし知らないと……まあ、ハハハ(笑)」

 オズボーンは、イギリス演劇界の誇る酔いどれ作家としても知られている。

▲ケインと火花を散らすイアン・ヘンドリー
 そして、カーターの宿敵であるエリック・ペイス役に選ばれたのは、イアン・ヘンドリー。60年代にはケインをしのぐ人気俳優だったが、作品に恵まれず、そのキャリアは落ち込んでいた。酒癖が悪く気難しい性格だった彼は、ケインに激しい対抗意識を燃やし、リハーサル初日からいきなり衝突。しかし、ケインは大人の態度でそれをいなし、ことなきを得た。画面上に映る2人の間に漂う緊張感は本物である。

 また、彼はクライマックスの追跡シークェンスでも、アルコールで傷んだ心臓が停まりかけるくらいの熱演を見せた。その甲斐あってか、ヘンドリーは本作で英国アカデミー賞の助演男優賞にノミネートされている。

■いかに会社を黙らせるか
▲監督のクビを救ったブリット・エクランド
 あまりにも地味なキャスティングに不安のあったMGMは、クラブのオーナー役にテリー・サバラスはどうか?などと注文してきたが、ホッジスはそれを突っぱねた。以降も無理難題が続き、このままだと監督をクビにされかねないと思った彼は、誰がやってもいいような愛人役にブリット・エクランドを起用。ネームバリューのある女優をポスターに出せるようになって満足したMGMは、少なくとも配役に関しては何も言わなくなった。

 とはいえ新人監督に対するプレッシャーは大きく、まず映画会社の重役陣を安心させる必要があった。そこで、ホッジスたちが最初に彼らの元へ送ったフッテージは、カーターが観るポルノフィルムだった。プロデューサーたちは送られてきたラッシュを見て、ホッジスの「手腕」に満足し、以降は製作に口を出さなくなった。計略は成功したわけだが、そのシーンの撮影にはさんざんな思い出しかないらしい。

■悪夢のポルノ撮影
ホッジス「とにかくひどい経験だったね。ニューカッスルへ行く前、ロンドンにあるTVの小道具スタッフの部屋を借りて撮ったんだ。集まったのは3人の女優と男優が1人、そして私。みんな何をどうしていいか分からず、ラウンジで互いに気まずく向かい合ったままだった。さらに悪いことに、部屋には小道具係の飼っているジャーマンシェパードがうろついていた。背中に膿んだ潰瘍があってね。最悪だったよ。私はシャンパンを何本か持ってきていたんだが、出すタイミングを失っていた。そのとき、グレンダ役のジェラルディン(・モファット)が、部屋にあったアフリカ産のシェリー酒を見つけたんだ(笑)。私達はそのひどい代物を飲み干し、酔った勢いでカメラを回して、2時間ほどで撮り終えることができた。私にとっては最初で最後のポルノフィルムさ」

 ちなみにプロデューサーのマイケル・クリンガーは、元々ストリップクラブのオーナーから映画界に進出した人物。この手のポルノフィルムの作り方は心得ていた(だから妙なリアリティがある)。本編中、いわゆるスリージー(お下劣)なテイストが多く盛り込まれているのも、彼のプロデュース力の賜物だろう。

■カーター(あるいはギャング映画)のあるべき姿
 ほどなくして撮影隊はニューカッスルへ移動し、本格的にクランクインの日を迎えた。ホッジスとケインが留意したのは、「できるだけ真実に近いかたちのギャングスター映画を作ろう」ということだった。

ホッジス「悪人の素養が先天的なものか、それとも環境がもたらすものであるかは、様々な議論があるだろう。当時の私は多くの部分で、育った環境が人格を左右すると思っていた。だから劇中に細かく社会状況を描き込んだんだ。それは別に、政治的な意思表示ではなかったが、この作品には必要不可欠な部分だった。カーターは物心ついた頃から、この町から出て行くためならどんな悪事にだって手を染めたはずだ。殺しだろうとね。マイケルはそんな彼の感情を、深いところまでよく理解していたよ」

ケイン「映画のジャック・カーターは、元のスクリプトから大きくキャラクターが変わっている。ベースになったのは、私自身が実際に知っている人々だ。私の育ったサウス・ロンドンの“エレファント&カッスル”と呼ばれる地域は、まさにギャングの中心地だったからね。彼らがどんな風だったか、どういう振る舞いをしたかは実感としてよく知っているんだ。だけど、同じものを映画で観たことは一度もない。それまで私が観てきたイギリス映画では、ギャングといえば必ずバカか、間抜けか、もしくはロビン・フッドみたいな義賊だった。大体、映画のスタッフや役者なんて中流階級の人間ばかりだから、実際のギャングがどんな風かなんて想像もつかないのさ。彼らはバカでもないし、滑稽でもない。シリアスな存在だ。ホッジスはそれをちゃんと分かっていた。カーターは本物だった」

 ケインは役作りのため、実際のギャングたちとも交流を持った。彼らの全行動を目に焼き付け、あるときは一人の男に全治18ヶ月のケガを負わせる現場も目の当たりにしたという。その観察の成果により、ジャック・カーター役は彼にとって、自他共に認める当たり役となった。


ケイン「当時のギャングたちは、とにかく女性に対して並ならぬ敬意を払っていた。特に肉親など近しい間柄に対してはね。若いチンピラどもが年端も行かない少女をレイプしたり、生活保護を受けているような老女から金品を奪ったりしようものなら、彼らは犯人を捕まえ、徹底的に痛めつけた。だから後半でのカーターの怒りは相当なものだ」

ホッジス「マイケルの演技は全て的確だった。私はカーターの人間像を若干みすぼらしい男として考えていたが、彼は全くそんな風情を出さずに、クレイ兄弟のような鋭さでカーターを演じた。加えて私にとって幸運だったのは、撮影中の彼がとてもリラックスしていたことだ。マイケルは各シーンで自分のクロース・アップを要求したりはしなかった。もし他のスター相手に『狙撃者』のような撮り方をしたら、激怒されるだろう。だが、彼は全ての場面にカーターが出ていることを知っていたし、この映画においては昔ながらのカバーショットも必要ないと分かっていた。だから後で気付いたんだが、私は多くの場面で彼の後ろ姿ばかり撮っていたんだ」

■ホッジス流スタイル
▲『狙撃者』撮影中のマイク・ホッジス
 早撮りが基本のTVの現場を長く経験してきた演出家らしく、ホッジスはストーリーボードを使わず、現場に行ってカット割りを考え、てきぱきと撮影を進めていった。彼は現在でもそのスタイルを基本的に守り続けている。

ケイン「ホッジスは素晴らしい演出家だ。現場で得たものを瞬間的に拾い上げ、使えそうなものがあればそれを使う。彼は決して融通の利かない監督なんかじゃない。他の偉大な監督たちも皆そうだった。彼らは常に現場で新しいアイデアを思いつくんだ」

ホッジス「ストーリーボードを使ったのは、『電子頭脳人間』(1974)の複雑な手術シーンと、『フラッシュ・ゴードン』(1980)のSFXシーンだけだ。それ以外の作品では、いつも現場で撮り方を考えることにしている。私はいつでも、先入観を持たない自由な状態でいたいんだ。特にロケーション撮影のときはね。最悪なのは、一晩中悩んで撮影プランを考えたあげく、現場に着いたら予想外の場所に柱が3本もあって、ソファが置いてあるというオチさ(笑)。だったら一晩よく寝て、フレッシュな状態で現場に臨んだ方がいい。そうすれば冴えた案も浮かびやすいだろう。そこで撮るべきものは、ひとつしかない。十分にリラックスした状態で臨んでいれば、自ずとその瞬間は掴めるものだよ」

■革新的なアクション
 『狙撃者』のタイトで簡潔なアクション描写は、どれも素晴らしく魅力的だ。近年のハリウッド映画のような派手さはないが、パンチが効いていてどこか洒落ている。迫力あるカーチェイス・シーンを始め、終盤近くの銃撃戦シーンも、緊張感と重量感に満ちた強烈なインパクトの場面に仕上がっている。ストーリーボードなしでこれらのシーンを生み出したホッジスは、やはり卓抜したセンスの持ち主だと言えるだろう。

 そんなあるとき、車を使ったシーンの撮影中に、ホッジスは驚愕の事実を知ることとなる。

ホッジス「カーアクションの場面を撮影する段になって、“よし、マイケルに車に乗るよう言ってくれ”とアシスタントに指示したら、おかしな沈黙が流れてね。するとすかさずマイケルの用心棒だったジョニー・モリスが飛んできて、私を隅に連れて行くと、“彼は運転できない”って囁くんだ(笑)。だって『アルフィー』では運転手役だったじゃないか! と私が言うと、ジョニーは“ずっと牽引してたんだよ”と答えた」

■仮借なきバイオレンス
▲血も凍る迫力の刺殺シーン
 『狙撃者』はクールなアクションで魅了する一方、生々しい暴力描写も同等に観客の目に灼き付ける。しかもそれは悪役ではなく、主人公の手でおこなわれるのだ。使う道具は棒、ナイフ、そして拳。監督のホッジスは、銃で撃たれたら胸を押さえて倒れるといった絵空事を嫌い、暴力の醜さと滑稽さをひたすらリアルに描くことを優先した。それはリアル・ヒッティングの痛みだ。そんな映画は今までなかった。

 特に、カーターが映画の中で最初に人を殺す場面――賭博屋の裏に追いつめられた中年男が、ナイフで腹を突かれるシーンの恐怖感、冷たいリアリズムは圧巻だ。主演のケインはこの場面に関して、次のように語る。

ケイン「何よりショッキングなのは、その行動の簡潔さとプロフェッショナリズムだろう。そこには熱情も狂気もない。警告の台詞もない。腹に一刺し、それで終わりだ。まあ『悪魔のいけにえ』なんかに比べれば、この映画は『メリー・ポピンズ』みたいなものさ。だが、そこに存在する登場人物がリアルなら、観客はその暴力もリアルに感じるはずなんだ」

▲容赦なき復讐鬼と化すカーター
 後半のカーターの暴走ぶりは凄まじく、刺殺シーンの直後、フェリーの中で少女たちに微笑みかける場面は、彼の異常性を際立たせて戦慄を誘う。さらにその後には、復讐のためなら何を巻き込んでも構わないという、凄絶なシーンも登場する。

ケイン「カーターに踊り場から突き落とされた男が、何の関係もない母娘の乗った車の上に墜落する。私たちはこうした描写を入れることで、バイオレンスが観客と無関係なものではない、同じ世界に存在するものであることを示したんだ。誰にだって巻き込まれるチャンスはあるってことさ」

■撮影〜リアルな質感を求めて〜
 当初ホッジスはTV時代から組んでいるキャメラマン、ダスティ・ミラーを本作でも引き続き起用するつもりだった。が、製作のクリンガーからの要請で、劇場映画の経験豊富なプロを雇うことになり、彼はかねてよりファンだったウォルフガング・スシツキーに仕事を依頼した。彼は多くの映画を手がけたベテランであり、ドキュメンタリーの経験もあった。

 ホッジスにとって特に印象的だったスシツキーの仕事は、ケン・ヒューズ監督のサスペンスドラマ『俺は殺られる!』(1962)だという。ソーホーを舞台に、しがないチンピラが裏社会の掟に追いつめられる姿を描いたこの映画で、彼が白黒画面に捉えた切迫感といかがわしい町の空気感は、強烈なインパクトを与えたそうだ。

▲『俺は殺られる!』英国公開時ポスター
 かくしてスシツキーは正式に撮影監督として雇われ、ミラーはキャメラオペレーターとして参加した。ちなみに撮影監督とは、別名ライティング・キャメラマンと呼ばれることもあり、主な仕事は照明の設計である。オールロケの本作では、苦労も多かったようだ。ホッジス同様、ドキュメンタリー作品の経験があったスシツキーは、現実味のあるモダンなルックを目指し、ライトは少なめに、コントラストのないソフトな質感を作っていった。

スシツキー「当時、ソフトなライティングを作るのは難しかった。だから半透明の紙やファイバーグラスを使って光を拡散させたんだ。後にそれらは体に有毒な埃を出す素材だということで問題になったが」

ホッジス「私はライティングにそれほどこだわらない。最近の映画照明はあまり好きじゃないんだ。個人的には、CM的な映像が映画作りをダメにすると思っている。その代わり、大変なナチュラリストでね(笑)。光源はとにかく重要なものだ。脚本を作るときも、常に光源はどうするか気にしながら書いている」

 屋外のシーンでは特に、望遠レンズが好んで使われている。遠くから覗き見るような視点でドキュメンタリー・タッチの臨場感を煽り、巧みなピント送りも効果を高める。

スシツキー「ホッジスはかなり望遠のレンズを使うのがお気に入りだった。それは映画に三次元的な奥行きを与えている」

■ニューカッスルにて
スシツキー「撮影中、私は時々マイクと議論したこともある。“私たちはニューカッスルの町をほとんど撮っていないんじゃないか?”とね。だが彼は“いいや、十分に映しているよ”と答えた。それは正しかった。たとえば前半でカーターたちが霊柩車で出発するシーンの景観は、まさにニューカッスルそのものだ。今となっては存在しない景色だろうが」

▲まさに「ニューカッスルそのもの」の景色
 全てのシーンをロケセットで撮影し、地元の人々をエキストラに使うこともホッジスのこだわりだった。酒場のシーンなどに登場する人々は、ステージショーの歌手にいたるまで、全てニューカッスルの住人である。

ホッジス「私はロケーション撮影で生じる制約が好きなんだ。もちろんそれは憎々しい状況にもなりうるわけだが。もうひとつは俳優のためでもある。現実のロケーションと、そこにいる人々の生々しい存在感は、俳優の演技にはとてもプラスに働くんだよ。もちろん、彼らはプロだからスタジオでもどこでも演技はできるわけだが、ロケ撮影のときはまた違う良さを見せてくれるんだ」

 綿密な現地取材は、ドキュメンタリー作家としてのホッジスの眼力が発揮される部分でもあった。彼は脚本に書かれていない多くのものを現実から取り入れ、効果的に作品に反映させている。

ホッジス「劇中に出てくる少女たちのマーチングバンドも、ロケハン中に見つけたんだ。こりゃいい! と思ってさっそく脚本に取り入れた。もしスタジオで作っていたら、こうしたディテールを拾うこともない。でもそれらの小さな積み重ねによって、1本の映画というのは作られるんだ」

ケイン「冒頭、カーターがギネスを頼む場面に出てくるエキストラの男は、よく見ると指が6本ある。誰も気づきゃしないがね(笑)」

■音響へのこだわり
 ホッジスはまた音響についても、映像と同じくらいに重きを置いた。「音響効果は音楽と同じだ」という彼は、本作で組んだ音響編集者ジム・アトキンソンへの賛辞を惜しまない。

ホッジス「音響マンは、現場に着くと何か面白い音が聞こえないかと、耳を澄ませる。私はいつもそれを奨励するんだ。彼らが思いもよらない提案をしてくる瞬間が好きでね。特にジムは素晴らしかった。もう一度この映画を観るときは、カーターが男をナイフで刺す場面で聞こえてくる、船の汽笛に耳を澄ませてほしい。それは非常に悲しい音だ。まるで彼の死を嘆くような、象が鳴く声のような……それは彼が漏らす、最期の一息の代わりなのさ。ブリットとケインの電話越しのセックスシーンで聞こえる、リズミカルなベルの音も、彼のアイディアだ。いわゆるポルノグラフィックな場面なんだが、その音のおかげでコミカルなおかしさが生まれている」

■ロイ・バッドの音楽
▲『狙撃者』サントラCDジャケット
 『狙撃者』制作にあたって監督が「ケインの次に重要な出会いだった」と語るのが、音楽のロイ・バッド(当時24歳)との仕事である。彼を起用するアイディアを出したのは、クリンガーと友人のジャック・フィッシュマン(バッドの作曲パートナー)だった。

 バッドはそれまでにも数本の映画音楽を手がけていたが、いずれもオーケストラ・スコアであり、本作のような少数編成でレコーディングをおこなったのは初めてだった。彼と長年コンビを組んできたドラマーのクリス・カランは、当時を振り返ってこう語る。

カラン「ロイは『狙撃者』の音楽を作るにあたって、かなり明確なコンセプトを持っていたね。オープニングタイトル曲については、断固として“ドラムは使わない!”と宣言していた。それで私の方から、タブラを使うアイディアを出したんだ。パーカッシヴだが普通のドラムサウンドっぽくなく、音楽を動かしていける。結果は非常にうまくいったね。エコーするハープシコードの効果と、ロイ独特の味がある電子キーボードの音色が、タブラの音とベースのリックに絡み合って、ダイナミックな曲を生み出している。彼のマスターピースだと思うよ」

ホッジス「ジャズピアニストとしての彼は知っていたが、映画音楽家としては認識していなかった。ロイは映画のオープニングに、最高にシンプルで美しいハープシコードのタイトル音楽を作ってくれた。彼自身は気づかなくとも、それこそ私の求めていた音だった。だから映画の重要なシーンには、必ずその旋律を入れたんだ」

■公開時の反応
▲リキテンシュタイン風のイラストポスター
 ホッジスは75万ドルの予算内で『狙撃者』を完成させた。彼はオファーを受けてから8ヶ月の間に、脚本を書き、ロケハンをこなし、キャスティングを仕切り、撮影し、編集を済ませ、全てを仕上げたのだ。

 評論家たちの反応は様々だった。「ここまで暴力的である必要があるのか」といった批判から、「マイケル・ケインが最高のはまり役を演じる、エキサイティングな傑作スリラー」という賛辞までが入り乱れた。そして映画が封切られると、イギリス中の観客が劇場へと詰めかけたのである。

■余談1:幻の初公開版
 イギリスの劇場で最初に上映された『狙撃者』は、現在観られるバージョンではない。ホッジスは公開後に冒頭のシーンを再レコーディングして、1巻目だけ新しいプリントに差し替えたのだ。

 その数ヶ月前、マイケル・クリンガーはロサンジェルスのMGMに赴き、完成フィルムを重役陣に見せた。彼らはオープニングにもっと分かりやすい台詞を付け加えるよう要求し、その場でカーターと会話するボスたちの台詞の追加録音をおこなったのだ。

 公開プリントを観たホッジスは仰天した。追加台詞のコックニー(ロンドンの下町訛り)があまりにインチキくさかったからだ。ホッジスは慌てて修正を求め、『狙撃者』のサントラ盤を制作したポール・フィッシュマンの協力で修復作業がおこなわれた。

フィッシュマン「だったら最初からちゃんと台詞を入れておけ、って感じだよ。幸いBBC(だったかな?)にオリジナル素材があったんで、私は貴重な時間と便利なプラグを使って、見事に音を差し替えた。結果は上出来さ」

■余談2:映像に描かれたロンドン・ギャング黄金時代
 『モンティ・パイソン』の強烈なコックニー訛りのギャング「ルイジ・ヴェルコッティ」が登場するコントにも描かれているとおり、クレイ兄弟に代表されるギャングスターのメディア露出は、当時の文化の一端だった。大衆にとっても映画製作者にとっても、そこは魅力的なアンダーワールドだったのだ。

 『狙撃者』に先んじること1年、怪作『Frightmare』(1974)などで知られる英国エクスプロイテーション映画界の鬼っ子ピート・ウォーカー監督は、いち早くギャング映画『バイオレンス・マン/Man of Violence』(1970)を製作・公開。作品自体はお粗末なB級アクションで、ウォーカー自身もあまり気に入っていなかったが、大衆の興味を満足させるには十分だった。

▲関係ないけどピート・ウォーカー監督の研究本
ウォーカー「『バイオレンス・マン』の初号が上がった日、ウォルドーストリートでマイケル・クリンガーと出くわしたんだ。“ギャング映画を作ったんだって? よかったら観せてもらえるか”というので、一緒に試写を観たんだよ。彼は何度か私の方に振り向いて“まったくひどい代物だな”と言った。“でも儲かるぞ”ともね。彼は近々、もっと予算も多くて、中身もうんとマシなギャング映画を作るというので、その前に私が撮った『ザ・アンタッチャブル/暗黒街のハスラー』(1968)のコピーをくれと言われた。そっちの主人公の名前も、カーターというんだがね」

 60〜70年代のロンドン暗黒社会を描いた作品としては、その他にマイケル・タックナー監督の『ロンドン大捜査線』(1972)、そのものずばりの異色伝記映画『ザ・クレイズ/冷血の絆』(1990)、そして最近ではポール・マクギガン監督の快作『ギャングスターNo.1』(2000)などが作られている。

 一方、『狙撃者』が巧いのは、舞台を猥雑な都会からかけ離れたニューカッスルに設定し、ひとりのギャングスターの姿を鮮烈に浮かび上がらせたことだ。たとえば当時のロンドンが舞台だったら、それこそきらびやかな文化・風俗などが映り込み、主人公の存在感も時代を経るごとにノスタルジアの中に埋没してしまっただろう。だが、ジャック・カーターは時代性を超越し、三つ揃いのスーツとトレンチコートとショットガンという出で立ちで、灰色の町を駆け抜け続ける。

■余談3:難ありのリメイク
▲新旧カーターの2ショット
 近年、「The Cult of Violence」というクレイ兄弟の伝記を読んだホッジスは、ジャック・カーターの遺児を主人公にした続編的ストーリーを思いついた。そこで彼はワーナーブラザーズに企画を提案したが、そのときすでに、ホッジスのあずかり知らぬところで『狙撃者』のハリウッド版リメイクが進行していたのだった。

 ホッジスの提案は却下され、シルヴェスター・スタローン主演の映画『追撃者』は2000年に完成。リメイク版『Get Carter』は舞台をアメリカに移し、主人公カーターと姪がハッピーエンドを迎える(ゆえに「狙撃者」は出てこない)。特別出演したマイケル・ケインが「最悪だ(Disaster.)」と語ったように、何もかもが悪い方向に進んでいるという意味で、オリジナルのファンには目が離せない作品となっている。ことごとく魅力を失ったキャラクター、作品全体に蔓延した知性のなさ等、まさにハリウッド・メイドの駄作の鑑だ。日本の招き猫の置物が重要な小道具として登場したりして、脱力することこの上ない。

 ちなみに当のホッジスは、いまだにリメイク版を観ていないという。あるとき、彼の息子が香港土産に『追撃者』のDVDを買ってきたので、したたか酔った晩に勢いで見ようとしたらしいが、イギリスと香港ではDVDの再生規格が違ったために観ることができず、仕方ないのでゴミ箱に放り込んだとか。


Review

 『狙撃者』で何しろ素晴らしいのは、映画の後半、エリックたちに自分の車を海に落とされたカーターが、それをじっと眺めているショットだ。トランクの中には、先ほどわけあってぶちのめした女が閉じ込められたままである。しかし彼は眉ひとつ動かさず、車が水中に没していくのを見つめるだけ。映画でこれほどシンプルに、ハードボイルドな瞬間が描かれたことがあっただろうか?(同時に無言のギャグでもあるという)

 非情なリアリズムと粋なスタイル、その両面において『狙撃者』が切り開いた犯罪映画の新たなアプローチは、映画界に多大な影響を与えた。復讐に走る男の姿をスタイリッシュに描いた『電撃脱走/地獄のターゲット』(1972)や、犯罪組織とIRAの抗争をリアルに描く『長く熱い週末』(1980)など、その硬質なテイストを受け継いだ映画・TV作品は数知れない。若い世代の圧倒的支持を得た快作ギャングムービー『ロック,ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』(1998)のガイ・リッチー監督も、『狙撃者』への惜しみない賛辞を寄せている(ホッジス自身は「ああいうせわしないのと、私の映画は違うんだ」と言っているが)。

 イギリス映画全体における犯罪社会の描き方そのものが、よりシリアスでダークに(つまり、より現実的なものへと)変わっていったのは、やはり『狙撃者』の成功に因るところが大きいのではないか。

 ゴリゴリの男社会を舞台にしつつ、お色気シーンも忘れないのが本作の偉いところ。特にジェラルディン・モファット演じるグレンダとカーターのベッドシーンは、ホッジス演出の真骨頂といった名場面だ。車を運転するグレンダの華麗なギアさばきと、ベッドで抱き合う2人の姿がスピーディーにカットバックされる、というような明白な隠喩表現も、ホッジス作品の特徴である。


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