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Squaring the Circle
(TVムービー)


▲「TIME」誌の表紙を飾ったレフ・ヴァウェンサ
【スタッフ】
監督/マイク・ホッジス
脚本/トム・ストッパード
製作/フレデリック・ブロガー
撮影/マイケル・ガーファス
美術デザイン/ヴォイテク
編集/ジョン・ブルーム、エリック・ボイド・パーキンス

【キャスト】
バーナード・ヒル(レフ・ヴァウェンサ)
アレック・マッゴーワン(ラコヴスキ)
ロイ・キニアー(カニア)
ジョン・ウッドバイン(ゲイレク)
ドン・ヘンダーソン(クロン)
フランク・ミドルマス(ブレジネフ)
リチャード・クレンナ(語り)

[1984年イギリス=アメリカ合作TV映画/カラー/94分/スタンダード/TVS、メトロフィルム・プロデューサーズ、ブリタニック・フィルム&テレビジョン制作]
日本未公開


About the Film

■ラジカルなスタイルの近代史ドラマ
 東欧における共産主義崩壊の立役者と呼ばれる、カソリックの活動家レフ・ヴァウェンサ。グダニスクのレーニン造船所で工員として働きながら、ポーランドの民主化を率いた自主管理労組「連帯」の初代議長を務めた。1981年の戒厳令で拘禁され、翌年解放。そして1983年にはノーベル平和賞を受賞し、1990年にはポーランド共和国の大統領に選ばれた人物である。

 トム・ストッパード作による『Squaring the Circle』は、ヴァウェンサ率いる「連帯」の非武装労働者たちが団結して体制に立ち向かい、全体主義国家を揺るがした16ヶ月間を描いた作品だ。英語タイトルは「その円と同面積の四角形を求めよ」といった意味で、つまり「絶対に不可能」という意味の言葉。本作では「西側の自由社会制度とソビエト社会主義の両立」という、ヴァウェンサたちの試みをさして用いられている。

■スタッフ&キャスト
 意欲的なシナリオを書き上げたトム・ストッパードは、『ハムレット』の脇役を主人公に据えた不条理劇『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(1966年初演)などの作品で、イギリス演劇界の新世代として認められた劇作家。映画脚本家としても、『未来世紀ブラジル』(1985)や『恋に落ちたシェイクスピア』(1994)など、多数の作品を手がけている。

 本作は彼がTVドラマ用に書き下ろした作品であり、独特のシュールな話法で綴られる異色の実録劇だ。それをさらに奔放なセンスで映像化したのが、監督のマイク・ホッジスと、美術を手がけたヴォイテク。彼らは全シーンをスタジオ内で撮影し、実際の出来事をアーティフィシャルな舞台装置の上で描くことによって、寓意性とドラマ性を強調した。撮影を手がけたのは、後に『ルール・オブ・デス/カジノの死角』(1998)などでも組むことになるマイク・ガーファス。

 主演は『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズ(2001)でセオデン王を演じた名優、バーナード・ヒル。そのほか、『三銃士』(1974)のロイ・キニアーや、『オスカーとルシンダ』(1997)のトム・ウィルキンソンといった実力派の顔ぶれが脇を固める。

 本作はTV史上に残るもっともラジカルなスタイルの歴史ドラマとして高く評価され、いくつかの賞にも輝いた。いまだにソフト化されていないのが残念だ。


Production Note

■8番目の監督
 マイク・ホッジスがこの作品の監督オファーを受けたとき、すでに7人ものディレクターが依頼を辞退していた。

▲シナリオ本の表紙
ホッジス「トム・ストッパードの書いた台本はあまり映像的でなく、私の知る限りではアラン・クラークやジョン・アーヴィンといった監督たちがすでに降板した後だった。しかし私はシナリオを読んですぐに“これはもらった”と思ったんだ。『Squaring the Circle』は政治と官僚制をめぐるサタイア(風刺劇)だ。私はストッパードがやりすぎているとも思わなかったし、むしろもっと笑劇的に、もっとシュールにしていいと焚き付けたんだ。ある意味バカげて聞こえるかもしれないが、私たちは『フラッシュ・ゴードン』(1980)にも似たスタンスで、ファルス(笑劇)とシリアスな感情的ドラマとの綱渡りを試みたわけさ」

 当時ホッジスは大きな手術をした後で、万全とは言えない体調で製作に臨んだ。しかし、彼にはこの作品を監督できるのは自分しかいない、という断固とした確信があった。それは、『フラッシュ・ゴードン』での美術監督ダニロ・ドナティとの仕事や、『そして船は行く』(1983)のアフレコ監修などを経て、自身の中に高まっていた「フェリーニ・モード」を最良の場で活かすチャンスだった。

■俳優たちのアプローチ
 ヴァウェンサを演じたバーナード・ヒルは、TVのニュース映像を研究し、体重を増やし、「連帯」に関する文献を読みあさって役作りに励んだ。

▲1980年当時のヴァウェンサ
ヒル「私が演じたのはヴァウェンサの完全なコピーではない。完璧に彼と同じ外見や、自然な喋り方にしようとしたわけじゃないんだ。この映画がリヴァプールに本物そっくりのレーニン造船所を作らなかったようにね」

 ヒルの周囲を固めたのは、ジョン・ウッドバイン、リチャード・ケイン、アレック・マッゴーワンといった、いずれも実力ある舞台俳優たち。また、小物の政治家スタニスラフ・カニア役に喜劇俳優ロイ・キニアーを配した絶妙なキャスティングには、ストッパードも賛辞を惜しまない。

 ナレーターがカメラに向かって自分の心象を語るという趣向は、作家自身の私的なエッセイを見るような独特の感覚をフィルムに与えた。ホッジスは当初、語り部としてストッパード本人を登場させたかったが、プロデューサーの意向で『ランボー』(1982)のアメリカ人俳優、リチャード・クレンナが起用されることになる。

■印象主義的セットデザイン
 美術を手がけたのはポーランド出身のセットデザイナー、ヴォイテク。ロマン・ポランスキー監督の『袋小路』(1966)などの美術を手がけたほか、TVドラマの演出家としても活躍した人物である。

 彼はまず、スタジオ内に鋼鉄製の巨大な構台を建造し、そこに各場面に応じたプロップを配置して、様々なセットを作った。赤の広場やグダニスク造船所、ワルシャワの町、さらにバチカンなど、20の異なる舞台装置が用意された。

ホッジス「ヴォイテクの仕事は前から気に入っていたが、これまで一緒に働く機会がなかったんだ。今回はまさにうってつけの人選だった。私はシナリオを持って彼を訪ね、週末を使って一緒に撮影方法を講じた。この台本をロケーションで撮るなんて、ひどくバカらしく思えてね。ストッパードの脚本には、いくつか複雑に入り組んだ演説シーンがあって、その素晴らしさを損ねないためには、スタジオの中でカットを割らずに撮るしかなかった。俳優たちには大変なアクロバットを強いることになったが。私たちの仕事は、そのサーカスリングを用意することだった」

 彼はシナリオと同じく視覚的にも、リアリズムとファルスの要素を兼ね備えた印象主義的なセットデザインを創造した。ホッジスはシュールで演劇的な美術コンセプトを実現するため、苦労してプロデューサーたちを説得したが、せめて海の場面だけはロケで撮るように言われた。渋々ながらその条件を呑んだホッジスだったが……

■プラスティックの海
ホッジス「私たちに与えられたスケジュールは、たった24日間だった。だが撮影は遅れ、実際に海までロケに出ることは不可能になってしまった。さもなければ徹夜で撮影を敢行するしかなく、そうなれば役者たちへの追加手当もかさんでしまう。それよりも、私にはいいアイディアがあった」

 ホッジスはプロデューサーに、『カサノバ』(1976)で描かれた海のシーンについて力説した。その映画で、監督のフェデリコ・フェリーニと美術のダニロ・ドナティは、黒いビニールと送風機を使い、スタジオ内に夜の海を現出させたのである。

ホッジス「私たちのシーンは昼間の設定だった。だからヴォイテクは大量の小石を敷き詰めたスタジオ内に、巨大な白いプラスティックシートをいくつも敷き、そこに強い照明を当てて反射させ、送風機でシートを小さく波立たせて日中の海に見えるようにしたんだ。ほとんど予算をかけずにね」

 結局、『Squaring the Circle』はオールセット撮影のラジカルなドラマ作品として完成した。

ストッパード「この作品は演劇の中継映像ではない。かといって普通の映画でもなければ、ドキュメンタリーでも現実の再構築でもない。想像的な歴史の見方を示したものだ」

ホッジス「ストッパードの脚本とヴォイテクの美術のおかげで、この作品は真にオリジナルなフィルムになった。どこかの学校では映像製作の教材にも使われているらしいよ。それが役に立った実例は見たことないがね(笑)」

■トラブルはいつもアメリカから
 本作はイギリスとアメリカの共同出資で製作されたが、米国内のネットワークで実際に放映されるまでには、完成から2年半もかかった。その際、10分間のカットといくつかの追加撮影、さらに音楽の差し替えがおこなわれた。監督のホッジスはそれを知らず、作業に立ち会ったのはトム・ストッパードだった。作品の改変されたことを知ったホッジスは、アメリカ放映版から自分の名前を削除するように迫ったが、聞き入れられなかった。

ホッジス「彼らは非常に洗練された作品を台無しにすることで、自国の視聴者を愚弄したんだ。なんだって彼らはいつも最低基準に合わせようとするんだ? トムはいい奴だが、このときばかりはナイーブすぎた。最後まで妥協すべきではなかったんだ」

 ホッジスにとって最も痛手だったのは、アメリカ版に追加された最悪に感傷的な音楽を、ロイ・バッドが作曲したことだった。

ホッジス「ロイはもちろん『狙撃者』(1971)の作曲家だ。これはつらかったよ。彼は私が騙されていたことを知らなかったんじゃないかな? 詐欺というのは、多くの人々の間で日常的におこなわれている商取引だからね。この業界では特に」

 後に、『Squaring the Circle』はカナダのバンフ国際TVフェスティバルで批評家賞を受賞し、賞金1万ドルが与えられた。が、それもホッジスの耳には入らず、旧知の友人ガス・マクドナルドからの祝電で初めて知らされたのだった。

ホッジス「ガスからの電話を受け取ってすぐ、私はフェスティバルの運営者に会うためバンクーバー入りした。彼らの言うことには、賞金1万ドルは美術デザイナーとキャメラマンに平等に分配されたという。キャメラマンだって!?(笑) 思わず耳を疑ったよ。私は離婚の慰謝料を払っていたせいで、無一文状態だったんだ。TV祭の事務局は、ちゃんと私に改めて小切手を渡してくれたよ。誰だろうと構わないが、とにかく“彼ら”は私を欺こうとしていたんだ」


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