←BACK
dead simple
I'll Sleep When I'm Dead
『ブラザー・ハート』


【スタッフ】
監督/マイク・ホッジス
脚本/トレヴァー・プレストン
製作/マイク・カプラン、マイケル・コレント
撮影/マイク・ガーファス
編集/ポール・カーリン
音楽/サイモン・フィッシャー・ターナー

【キャスト】
クライヴ・オーウェン(ウィル・グレアム)
ジョナサン・リス・マイヤーズ(デイヴィ)
シャーロット・ランプリング(ヘレン)
マルコム・マクダウェル(ボード)
ジェイミー・フォアマン(ミクサー)
ケン・スコット(フランク・ターナー)
シルヴィア・シムズ(バーツ夫人)
アンバー・バティ(シェリダン)
ティム・プレスター(タクシー運転手)
アレクサンダー・モートン(ヴィクター)

[2003年イギリス映画/カラー/103分/ヴィスタ/ドルビー/ウィル&Co.プロダクション制作]
日本劇場未公開・DVD公開(メーカー:パラマウント)


Story

 かつてロンドン暗黒街のナンバーワン候補と見込まれていた男、ウィル(クライヴ・オーウェン)。彼はある日突然、その道から足を洗い、全てを捨てて放浪の旅に出た。肉体労働者として各地を転々とし、暴力には一切近寄らずに生きる彼の姿は、さながら亡霊のようであった。

 3年後、ロンドン。ウィルの弟デイヴィ(ジョナサン・リース・マイヤーズ)は、ヤッピー相手にクスリを売り、クールな遊び人として気楽な生活を楽しんでいた。その夜、彼はボード(マルコム・マクダウェル)率いる一団に襲われ、理由も分からないままレイプされてしまう。恥辱にまみれて自宅に戻ったデイヴィは、自ら命を絶った。

 虫の報せで古巣の街へと帰ってきたウィルは、弟が自殺したことを知り、親友だったミクサー(ジェイミー・フォアマン)と共に、真相を突き止めようとする。元恋人のヘレン(シャーロット・ランプリング)の制止も聞かずに。そして彼は、ついに残酷な事実へと辿り着く。

 義憤に駆られたウィルは誓いを破り、かつての非情な自分を蘇らせる。一方、街にはウィルの帰還を喜ばない者たちがいた……。



About the Film

■異色のノワール心理劇
▲劇場版ポスター
 過去を捨てた一人の元ギャングが、弟を殺されたことをきっかけに再び暴力の世界へと舞い戻る……といっても派手なアクションムービーでもなければ、カタルシスに満ちた仁侠映画でもない。ハリウッド作品なら5分で終わる「暴力への帰還」の葛藤をメインに描く、異色の心理ドラマだ。

 マイク・ホッジスの演出は、前作『ルール・オブ・デス/カジノの死角』(1998)以上にシンプルを極め、冷たく透徹した映像の中で淡々と物語を進行させていく。全編に緊張感が張りつめ、欠片の甘さもない客観性が映画を支配する。その一方で、悲劇を機に再会する者たちの絆をしみじみと描き、忍び寄る裏社会の魔手をスリリングに絡めるストーリーテリングは、やはり巧みである。簡潔にしてトリッキーなラストも鮮烈だ。

■脚本のへヴィーな社会性
 ノワールじみた原題と犯罪世界を舞台にした筋立てがクラシックなジャンルムービーを想像させるが、実際のところは生々しい現代性を孕んだ内容に、重たいボディブローを食らう羽目になる。復讐の名の下に繰り返される暴力の円環、そして男性社会における制裁行為としてのレイプという、2つのへヴィーなテーマがじっくりと描かれるのだ。

 オリジナル脚本を手がけたのは、トレヴァー・プレストン。主にTVで多数のスリラー作品を手がけ、マーク・レスター主演のカルト映画『ナイトチャイルド』(1972)にも参加した人物である。ホッジスとはTVのアート番組「Tempo」(1965)や子供番組「The Tyrant King」(1967)以来の付き合い。人間のダークサイドをジリジリと描きつつ、その描写は簡潔で、ツイストのきいたユーモアも含んでいるという、なかなか珍しい作風だ。元々シナリオが書かれたのは製作から8年も前であり、もしその当時に映画化されていたら、どの程度のリアリティを持って受け止められたか気になるところだ。

 セット撮影の多かった前作と違い、今回はサウス・ロンドンでのロケーションが中心。都心部から少し離れた、いわゆるガラの悪い地域も描かれており、映画などではあまり馴染みのないロンドンのリアルな姿を見ることができる。

■錚々たるキャスト陣
▲徹底的にミニマルな芝居を貫くオーウェン
 主演は前作『ルール・オブ・デス』以来、ホッジス作品の「顔」に躍り出たクライヴ・オーウェン。本作ではファン卒倒必至の髭づら山男スタイルで登場し、出番の90%をその姿で押し通す。色気など立ち上りようもない風貌から、極限まで感情を抑えた演技によって、主人公ウィルの抱える痛切な苦悩を見事に体現。とてもハリウッド・スターの一人とは思えない野心的な演技を見せている。ラスト10分の鮮やかな変身も見どころだ。

 ウィルの弟デイヴィを魅力的に演じるのは、『ベルベット・ゴールドマイン』(1998)のジョナサン・リス・マイヤーズ。グラマラスな美青年ぶりで、誰からも好かれる(ゆえに標的となる)悲劇の人物を自然体で好演している。情に厚い親友ミクサー役のジェイミー・フォアマンも、下町のチンピラ風情を濃密に漂わせていて素晴らしい。

▲主人公の元恋人を演じるランプリング
▲デイヴィを好演するJ・L・マイヤーズ
▲相変わらず迫力みなぎるマクダウェル
▲ミクサー役のJ・フォアマン

 さらに、マルコム・マクダウェルとシャーロット・ランプリングという、映画ファンには嬉しい豪華なキャスティングも用意されている。マクダウェルが演じるのは、背広の似合うナイスミドルのレイピストというホラーな役どころ。年齢を重ねて得た気迫はなんら薄められることなく、見る者を全力で威圧する。そしてランプリングの役柄は、主人公ウィルが昔付き合っていた年上の恋人ヘレン。やけにリアルなときめきを感じさせる配役だが、そんな夢想も「捨てられた過去」にしかならないのが、本作の非情なところだ。

 オールドファン的に注目なのは、デイヴィの家主役で登場するシルヴィア・シムズ。映画では『香港定期船』(1959)や『スージー・ウォンの世界』(1960)といった作品で印象を残した、往年の美人女優である。また、『ルール・オブ・デス』でカジノのオーナーを演じたアレクサンダー・モートンが犯罪心理学者の役で、ギャンブル中毒の客を演じていたジョン・サーマンが病理学者として出演している。

■作品を研ぎ澄ます常連スタッフ
 メインスタッフには『ルール・オブ・デス』からのメンバーが多数続投。撮影のマイク・ガーファス、オペレーターのゴードン・ヘイマン、美術のジョン・バンカー、そして音楽のサイモン・フィッシャー・ターナー等々。仰々しいところなく、鋭いキレを画面に保つホッジス・スタイルを了解する彼らによって、本作ではより純化した世界が構築されている。

 本作のクリアーに研ぎ澄まされた映像、夜の世界を彩るライティングの質感は、あまり類を見ないものだ。また、登場人物の心の揺れをセンシティヴに伝えるターナーの音楽も、素晴らしい効果を上げている。

▲英国盤DVDジャケット
■公開・ソフトリリース
 欧米では劇場公開されたが、反応は賛否両論。それほどは話題にならずに終わってしまった感がある。ちなみにドイツ公開時の題名は“Dead Simple”。

 米・Paramount社から発売されたDVDは本編のみの収録だが、英・Momentum PicturesからリリースされたPAL盤には、監督と脚本のプレストンによる音声解説、BBC制作のメイキングドキュメンタリー、2つの削除シーンが収録されている。

 日本ではしばらく未公開状態が続き、2005年末に突然DVDが発売された。が、パラマウントの移植盤であるため、特典はなし。レンタル店にもあまり並んでいないのが残念だ。




Production Note


■誰もが注目する次回作
 『ルール・オブ・デス』のスマッシュヒットで、現役監督として再認識されたホッジスのもとには数多のオファーが殺到した。しかし最終的に彼が次回作に選んだのは、自身が何年も暖めてきた企画だった。

ホッジス「8年前、友人のトレヴァー・プレストンが“I'll Sleep When I'm Dead”と題された脚本を持ってきて、私に読んでみてくれと言ったんだ。とても面白い作品だと思ったが、当時は資金集めが困難で、ウィル役に相応しい俳優も見当たらなかった。その後、『ルール・オブ・デス』の制作中、クライヴ・オーウェンとの相性の良さに気付いた私は、彼にトレヴァーの書いた脚本を読んでもらった。クライヴもそれが気に入って、ぜひやろうという話になった。その瞬間は、今作っている映画のことなんてトイレに流す勢いだったね(笑)。だが、そのときもやはりイギリス国内に出資者はなく、諦めるしかなかった」

▲脚本のT・プレストン(左)とホッジス
 さらに数年が経ち、『ルール・オブ・デス』がアメリカで成功を収めると、業界関係者たちの間で『ブラザー・ハート』のタイトルが口に上り始めた。ホッジス、プレストン、そしてオーウェンは再びスポンサーを募り、今度はアメリカからの出資が得られ、8年越しで企画にGOサインが出た。

ホッジス「脚本は元に書かれたまま。クライヴも変わっていない。私も変わらない。変わったのは私たちに対する認識だけだ。業界ってのがいかに愚かしく、頑なであるかが分かるだろ?」

オーウェン「ホッジスは自分の撮りたい映画を、撮りたいように撮ることに関して、とにかくこだわるんだ。だから彼は自分の好きなように仕事できる条件が整うまで、決して妥協しないのさ」

 プロデューサーには、ホッジスの願いで『ルール・オブ・デス』のアメリカ興行を成功させた親友のマイク・カプランがあたった。

ホッジス「マイクはとても多才な人物だが、中でも映画を大切に育て上げる才能、そして公開できるまで決して諦めない意志の強さに秀でているからね。私はもう、誰の目にも触れない映画を作るなんてウンザリなんだよ」

■異色の脚本
プレストン「私は今まで、過去から逃れようとする人間を何人も見てきた。しかし、それに成功した者は誰もいなかった」

 トレヴァー・プレストンは60年代からシナリオライターとして活躍してきたベテランだが、執筆業を始める前は“犯罪に最も近い場所”で生きてきたそうである。その世界において、男性に対して行われる制裁的なレイプは、まさに死に至る屈辱を与える最悪の仕打ちだと彼は言う。放浪の生活を送っていたウィルは、その事件をきっかけに、かつて彼にとってのリアリティだった苦痛と復讐と破壊の世界へと引き戻される。ホッジスはそんなプレストンの着眼点に感銘を受けた。

ホッジス「性的暴力とは、どんなかたちであろうと常に不快なものだ。それが、この映画の中心となる。身体的にも性的にも、相手を屈服させること――レイプとはつまり、力を誇示するための行為だ。我々男性の大半、特に“Jocks”と呼ばれる種類の人間は、自分のセクシャリティを明らかにされることを恐れる。この作品では、そんなマッチョ世界に潜在する恐怖を、白日の下にさらけ出すのさ。トレヴァーの脚本は、執筆された当時よりも現在の方が重要な意味を持っていると思う」

▲過去を捨てて僻地をさすらうウィル
 プレストンは『ブラザー・ハート』をギリシャ悲劇に喩え、またホッジスはこれを日本の時代劇に喩える。「サムライは死ぬまでサムライである」という物語に。

ホッジス「ウィル・グレアムは『狙撃者』のジャック・カーターと同様、己の過去から逃げることができない。人生の早いうちにキャラクターが決まってしまった人間が、そこから抜け出すのは困難だ。私はそう強く信じている。それは、これまで作ってきた映画の多くで扱ったテーマでもある。人類全体という視点から見てもそうだろう。ここ最近、世界で起きている出来事を見ると、どうやら我々は戦争や破壊、圧制からは逃れられないようにできているらしい。そして、暴力の終わりなき円環構造の根幹をなすのは“復讐心”だ。ブッシュ・ファミリーのイラク攻撃への執心を見れば明白じゃないか? この映画は今の時代に作ることで、図らずも今日性を帯びてしまったと思う」

 オープニングタイトルで、本作の作者は「A film by Mike Hodges and Trevor Preston」とクレジットされる。ホッジスが脚本家と共に作者名を連ねるのは、『Squaring the Circle』(1984)、『ルール・オブ・デス』に次いで3本目だ。

■サウス・ロンドンという土地
 パラマウント・クラシックスとリヴァー・ピクチャーズの資本を得て、『ブラザー・ハート』の企画は本格的にスタートした。製作予算は650万ドル、撮影期間は28日。通常のハリウッド作品に比べると非常に小規模である。

ホッジス「そのときになって、私は急に不安を覚え始めた。もう1年以上も脚本を読み返していなかったし、『ルール・オブ・デス』の撮影からも4年がすぎようとしていた。本当に大丈夫なのか? とね。しかし、作品について考えるときは必ず起こることだが、私はスポンジになる。全ての音やイメージに対してオープンになり、周囲のものを吸収する。そうすれば様々な要素が共鳴し、やがて予期せぬ反応が起こって、まったく新しい微妙なタッチが作品に加わっていくんだ」

 都市部でのロケーションは、主にサウス・ロンドンでおこなわれた。映画やTVに登場するロンドンは主に北側で、かつてホッジス自身が暮らしていたのも北だった。あまり映像に捉えられたことのない新鮮な土地の表情を探すロケハンは、監督にとって楽しい作業だったという。

ホッジス「ロケーションと地理は、私にとっては映画のメインキャストの一人なんだ。キャラクターをその土地に“根付かせる”ことで、役の信用性が確かなものになる。だから、ロケ地選びには細心の注意を払わなければならない。最近では珍しいことのようだが、私は自分の足でロケハンを行う。それが作品の根幹に関わることだからだ」

 『ブラザー・ハート』で捉えられる夜の町の空気感は、非常に現実的である。都市部の中心から少し外れたところにある、何もない町の殺伐としたムードと静けさは、日本人にもよく分かる感覚だろう。

ホッジス「大事なのは、とにかくひとつ“これだ!”と思える場所を見つけること。それを見つけてしまえば、あとはそこを中心に歩き回って、他のロケ地も探していく。デイヴィがレイプされる暗い路地裏を見つけたとき、この場所が映画の中心になると分かった。恐ろしいのは、それがデイヴィのアパートメントからいくらも離れていないということだ」

■年上のひと〜S・ランプリングの配役〜
 ホッジスとプレストンは当初、主人公ウィルと恋人のヘレンは同い年という設定に決めていたが、ウィル役にクライヴ・オーウェンが決まったとき、ホッジスはヘレンを年上の設定に変えた。そうすることで、彼らの間にある精神的な絆をより強調できるのではないかと考えたのだ。

ホッジス「私たちは年上の男と若い女というカップリングに慣れてしまっている。ケイリー・グラント、ロバート・レッドフォード、ウディ・アレンといった男優たちが、娘ほども歳の違う相手と共演するイメージにね。この映画ではそれをひっくり返すことで、スピリチュアルなレイヤーを加えてみたんだ。ヘレンは裕福で品のある、自立した女性だが、ウィルのような荒っぽい犯罪者に心惹かれる。そうした人々が恋人同士になったり結婚したりする関係性には、興味が尽きないね。明白な理由付けをせずとも、このアイディアは生きると思った」

 ホッジスは制作初期の段階で、シャーロット・ランプリングにその役をオファーした。

ランプリング「マイクがこの話を持ってきたとき、とにかく脚本の素晴らしさに取りつかれてしまったの。必要最低限の台詞だけで、非常によく練られている。私にとって魅力的だったのは、“復讐”という古典的なテーマを、マイクが映像的に増幅させてかたちにしていく様子を観察できたことね。舞台はギャングの世界だけど、これはギャング映画じゃない。もっとディープで感動的な作品なのよ」

ホッジス「シャーロットが演じると、目や唇の動きひとつでさえ、とてつもなく重要な意味を持ってくる。キャラクターの内面で起こっている深い感情を、彼女は台詞無しで観客に伝える力を持っているんだ。あらゆる監督にとって、彼女は夢の女優だよ」

▲レストランのシーンにて。撮影合間の一コマ

ランプリング「マイクは無駄にカットを重ねたりしない。そのテイクが十分に使えるものであれば、そして役者がそれ以上に繰り返す必要がないと思えば、ファーストテイクでもOKになる。他の監督は大概、“よかったけど、念のためにもう1回”といってどんどんテイクを重ねて、そのうちに内側から溢れる詩情のようなものは消えてしまうのだけれど」

ホッジス「演出というのは料理みたいなものだ。ちょうどいい瞬間に野菜を鍋から取り出すタイミングが重要なのさ(笑)」

■愛される男、それを許さない男
▲タクシーにて。数少ないコミカルな場面
 続いてホッジスは、ウィルの弟デイヴィ役にジョナサン・リス・マイヤーズを起用。決め手となったのは、彼が主演したTVシリーズ『ゴーメンガースト』(2000)での演技だった。

マイヤーズ「この映画には多くの要素が含まれている。兄弟の間にあるほのかな愛情の絆を描いてもいるし、見捨てられた者、失われた愛、誘惑、そして復讐を描いた物語でもある。こんなに引き締まった無駄のない脚本に、そんな多くのフレーバーが入っているなんて、矛盾のようにも思えるけどね。でも、『ブラザー・ハート』はそうなんだ。観客はこの作品に、単純なストーリーだけを期待してはいけない。ひとつのフレームにさえ意味がある。無駄なショットや曖昧なシークェンスは存在しないんだ」

 恐るべきレイプ犯のボードを演じるのは、『時計じかけのオレンジ』(1971)でまさしく暴力のシンボルを体現したマルコム・マクダウェルである。

▲本番以外では和やかな雰囲気
マクダウェル「マイクと私とは長年来の友人だが、正直この役を引き受けるまでには何回か考えた。『カリギュラ』(1980)の撮影現場でさえ拒絶したような、とてつもなく恐ろしい場面があったからね。しかし、マイクはそのシークェンスをたった1ショットで撮影したんだ。非常にパワフルだが、猥褻さは感じさせない。感心したよ。クライヴ・オーウェンとの仕事も素晴らしかったね。彼の演技スタイルは非常にミニマルだが、驚異的だ」

 マクダウェルとホッジスとは60年代からの知り合いだが、監督と役者という関係で関わるのは今回が初となった。

マクダウェル「マイクは妥協するのが嫌いなんだ。今ではそれが彼の持つ素晴らしい強みだと言えるが、スタジオシステムで仕事をする上では障害にしかならない。ともあれ彼はイギリス映画界における希少な才能の持ち主で、やっと認められたことを嬉しく思うよ。そうなるまでに35年もかかったことには腹が立つがね、この国ではよくあることさ。自分たちが素晴らしい財産を持っているのに、手遅れ寸前になるまで気づかないんだ」

■簡潔を極める撮影スタイル
 撮影されたのは2002年の秋。サウス・ロンドンでのロケーションは、ブリクストンとクラッパム中心に5週間おこなわれた。ウィルがさすらう森林地帯などが撮られたのはサウス・ウェールズ。ホッジスは常連キャメラマンのマイク・ガーファス、オペレーターのゴードン・ヘイマンと共に、なるべく1シーン1カットで撮るスタイルを守って撮影を進めた。

▲撮影風景。手前がオペレーターのG・ヘイマン
オーウェン「最近はおしなべて凝りに凝った映画を作ろうとする傾向がある。だが、マイク・ホッジスはそうした様相を全てはぎ取り、作品をシンプルに保とうとする。それも、僕が彼と仕事をするのが好きな理由のひとつだ。特に『ブラザー・ハート』のような作品では、そうした独自の製作スタイルによって、物語はより感動的でパワフルなものになる」

ホッジス「監督の手の内を見せないためにも、ストーリーテリングを簡潔にするのは重要なことだ。マイクとゴードンは、そんな私の願いを的確に叶えてくれる。監督が自分の欲しい画を撮るには、それを理解してくれるオペレーターがいなくてはならない。その点、私はゴーディーを信用しきっている。まさしく私の右腕だよ。そして、マイクの仕事も素晴らしかった。とかくナイトシーンというのは時間がかかるものだが、彼の仕事は本当に早かった。たった4週間で撮ったというのに、単純に明るいルックはまるでない。現像されたプリントを観るのがいつも楽しみだったよ」

▲ムーディな夜のライティング
 夜の室内シーンでは、痛々しいほどに明るい蛍光灯照明と、暗い部屋に窓の外から街灯がさしこむアンバー系のソフトなライティングとが、対照的に描き分けられている。いわゆる超現実的なスタイリッシュさとは異なる、リアリスティックなアプローチで独特のコントラストを与え、過剰な映像美を避ける姿勢はデビュー作『狙撃者』(1971)から変わっていない。この作品でも、屋外のナイトシーンは明るすぎず暗すぎず、不自然にならない程度にクリアーな明度が保たれている。しかし、路面は常に水で濡らされ、ノワーリッシュなムードを醸成することも忘れていない。

 また、脚本には車のシーンが多かったため、ホッジスはロケ撮影の面倒を避け、大部分をスタジオ内で撮影した。窓の外に流れていく背景は、昔ながらのスクリーンプロセス方式で映写されたものだ。俳優たちの演技は静謐な密室内でおこなわれ、結果的に作品の心理ドラマ的なトーンを強めることになった。ある種、そこは暴力的世界から隔絶されたセラピー空間の趣なのである。

■編集・音楽
 ホッジスと編集のポール・カーリンはコンピュータを使わず、スタインベック社製の編集機を使ったクラシカルなやり方でフィルムを繋いでいった。

ホッジス「この方法なら、自分たちがTVムービーを作っているのではなく、劇場の大スクリーンにかかる長編映画を作っていると自覚できるんだ。それに編集機を使った方が、コンピュータよりも遥かに正確に繋ぐことができる。AVID(最もポピュラーな編集ソフト)なら、デスクトップ上で何通りものパターンを試すことができるだろう。だがそんなプロセスは余計な混乱をもたらすだけだ。私は撮影しているとき、すでに頭の中で映画を編集している。それが映画にとって正真正銘、唯一のバージョンなんだよ。コンピュータ編集では様々なスタッフの都合によって改変されてしまうおそれがあるが、本来編集という作業は、監督と編集者、そしてプロデューサーだけが持っている特権なんだ」

 冒頭とラストにフェイドイン/フェイドアウトがおこなわれる以外、『ブラザー・ハート』の劇中にはビジュアルエフェクトがまったく施されていない。唯一デジタル技術を全面的に採用したのは、音響効果の部分である。本作では16トラックのデジタルレコーダーを使い、複雑で実験的なサウンドデザインが試みられた。

 ホッジスは音楽に再びサイモン・フィッシャー・ターナーを起用した。本作における精緻な音楽設計は、前作『ルール・オブ・デス』をも上回るほどのものだ。

ホッジス「サイモンは音楽をただの劇伴とは考えていない。むしろ音響効果と同じように捉えているんだ。だからそのアプローチは他の作曲家とは一線を画している。私たちは一度もオーケストラセッションをおこなわず、非常に短い音を各場面にはめてみて、その場面に相応しい音を探していった」

ターナー「私たちが主におこなったのは、仕事を始める前にひたすら話し合うことだった。これまで一緒に仕事をしてきた映画監督は、音楽的ボキャブラリーに不自由な傾向がある。好みやコンセプトをうまく説明できないんだ。若いディレクターはせっかちに、ボタンひとつで明瞭な答えを出したがる。だけどマイクはまるで違う。彼には音楽的な知識があるしね。私たちはただシンプルに、映像を細部まで観て、音を配置し、議論し、そしてまた見直す。『ブラザー・ハート』の音楽に関しては、自宅でマッキントッシュのノートPCを使って、かなりの時間をプリプロダクションに費やした。音楽はジャズ調だが、いわゆる即興の支離滅裂なものではなく、エレクトロ・アコースティック・ジャズとも呼ぶべきものだ」



Review

 『ブラザー・ハート』は、何しろ痛ましい傑作だ。恐ろしく無駄のない卓抜した演出で、全編に不穏な緊張感が張り詰めるこの映画は、原題から想像できる40年代ノワールの再構築でもなければ、ガイ・リッチーの向こうを張ったキザな犯罪アクションでもない。復讐・逃避・恥辱といったヘヴィな感情を、クールに凝視する心理劇なのである。“『狙撃者』『ルール・オブ・デス』の監督による痛快なスリラー”を期待すると、肩すかしを食う羽目になるだろう。まず初見では打ちのめされるしかない。

 主人公ウィルは浮浪者同然の生活に落ちぶれてまで、必死に過去の自分に抗い、そして挫折する。ハードボイルドに典型的な「過去を捨てた男」の葛藤を、これほど虚無的に、痛ましく、執拗に描いた作品があっただろうか? ウィルの復活を描くシーンはスタイリッシュに演出され、映画のクライマックスともなっているが、結果的にカタルシスの度合いは他の同趣向の作品より遥かに低いものとなる。とにかく「暴力への抵抗」が徹底しているのだ。

 近似しつつも対照的な作品として、デイヴィッド・クローネンバーグ監督の『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(2005)を思い浮かべれば分かりやすい。こちらはカタルシス抜きに爆発する暴力衝動の連続また連続、その果ての虚無だ。ヴィゴ・モーテンセンもクライヴ・オーウェンも感情の見えなさでは双璧だが、モーテンセン演じる元ギャングとは逆に、ひたすら行動を起こさないオーウェンが無表情の下に隠す激情は、悲しいほどに熱い。

 ギャング世界を舞台にしたリベンジ・スリラーの中心に「男性レイプ」をシリアスに据えた構成も、非常に画期的であり、おそらく後続はないだろう。主人公をあるべき姿=「Man of Violence」へと引き戻すに足る最も醜い暴力とは何か? と熟考した末の答えは、多くのギャング映画で手を付けなかったタブーの部分であり、男の美学/マッチョイズムの徹底的な破壊行為であった。これで加害者を女性に置き換えれば、加藤泰監督のカルトな傑作『みな殺しの霊歌』(1968)になるわけだが、犯行意図や屈辱のニュアンスは当然別物である。

 弟の死は、暗黒街のルール(つまりギャング映画のルール)に則った処刑でもなければ、ウィルの暗い過去に絡んだ代償でもなかった。そういったクリシェでは主人公の意思(will)は身じろがなかっただろう。しかし……。

 そんなウィルの葛藤と同時に、衝動的に死を選ぶ弟デイヴィの心理も、物語の重要なポイントである。さらに言えば、マルコム・マクダウェル演じる中年男ボードを犯行に駆り立てた理由も、単純な怨恨関係とは異なり、社会に偏在する嫉妬と憎悪という、もうひとつのテーマを提起してしまう。

 犯人、被害者、そして復讐者――それぞれの男たちが辿るネガティヴな感情の動きを、ホッジスは冷徹に映し続ける。その感覚は、黒沢清監督/高橋洋脚本の『蛇の道』(1998)にも似ている。人間の弱さを淡々と見つめる画面の中で、サイモン・フィッシャー・ターナーの無機質な音楽が、風に煽られるように鳴る……。


←BACK ↑PAGE TOP

Copyright(C) dead simple, All rights reserved.



inserted by FC2 system