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dead simple
Croupier
『ルール・オブ・デス/カジノの死角』


▲劇場用ポスター
【スタッフ】
監督/マイク・ホッジス
脚本/ポール・メイヤーズバーグ
製作/ジョナサン・キャヴェンディッシュ、クリスティーヌ・ルパート
撮影/マイク・ガーファス
美術/ジョン・バンカー
編集/レス・ヒーリー
音楽/サイモン・フィッシャー・ターナー

【キャスト】
クライヴ・オーウェン(ジャック・マンフレッド)
ジーナ・マッキー(マリオン)
アレックス・キングストン(ヤンニ)
アレクサンダー・モートン(デイヴィッド・レイノルズ)
ケイト・ハーディ(ベラ)
ポール・レイノルズ(マット)
ニコラス・ボール(ジャックの父)

[1998年イギリス=ドイツ合作映画/カラー/91分/ヴィスタ/ドルビー/チャンネル4フィルムズ(フィルム・フォー)、リトルバード、タットフィルム制作]
日本劇場未公開・ビデオ公開(メーカー:クロックワークス)


Story

 ロンドン。ジャック・マンフレッド(クライヴ・オーウェン)は同棲相手のマリオン(ジーナ・マッキー)に養ってもらいながら、小説家を志し、作品の構想に頭を悩ませ続けていた。アテになりそうな出版社はなく、自分でも作家としての才覚がないことに気づき始めている。

 そんなとき、彼は故郷の南アフリカに住んでいる父から連絡を受け、カジノのディーラー=クルピエの仕事を紹介される。気乗りしないながらも、ジャックは当座の生活をしのぐため、ロンドン市内のカジノ「ゴールデンライオン」へと赴き、職を得る。

 南アのカジノで生まれ育ち、そこで培ったジャックのクルピエとしての腕は、今でも全く衰えていなかった。しかし、その中毒性ゆえに――ギャンブラー達の姿を観察する快感から逃れるため、ジャックは足を洗い、ロンドンで物書きを目指したのだ。しかし、彼は今また“故郷”へと戻ってきた。

 ジャックの就職を知ったマリオンは、「私は小説家の恋人でいたいの」と不満を隠さない。彼の本性を見ようともせず。ジャック自身もまた、彼女のことが分からない。あまり興味がないのだ。

 カジノでの彼の働きぶりは見事なものだった。まさに天職。いつしか馴染みの客もつき、その中には同じく南アフリカから来たという美貌のギャンブラー、ヤンニ(アレックス・キングストン)がいた。彼女は親密な態度でジャックに近づく。そこに何らかの魂胆があることを見抜くのに、さほど時間はかからなかった。

 ジャックは同僚のベラ(ケイト・ハーディ)と、衝動的に一夜を共にする。間もなく彼はクルピエとしての生き様を、小説の物語として書き始めた。架空の主人公の名はジェイクだ。

 案の定、ヤンニは危険な仕事をジャックに持ちかけてきた。いつかカジノの金庫に強盗が押し入るから、その直前に起こる乱闘騒ぎに巻き込まれて、人々の注意を逸らしてほしいというのだ。報酬は大金と、ヤンニの自由。彼女はギャングに弱みを握られているらしかった。ギャンブルには手を出さないのがジャックの信条だったが、結局、彼はその頼みを聞き入れることにする。クルピエは決してゲームに負けない。ジャックはそれを知っていた。

 だが彼を待ち受けていたのは、思いも寄らぬ結果だった……。


About the Film

■マイク・ホッジス会心の傑作
 『ルール・オブ・デス/カジノの死角(原題:Croupier)』は、不世出の異才マイク・ホッジスの復活を劇的に告げた快作である。“クルピエ”として天才的な腕を持つ一人の青年が、自ら危険なゲームへと足を踏み入れていく姿を、クールなノワール・タッチで鮮烈に描き出す。

 秀逸なモノローグと共に小気味よく進むストーリー、軽やかに脈打つ悪意。通り一遍のモラリティを突き放すダークな無常観、随所に香る死の感覚。知的でスリリングなオリジナルストーリーを紡ぎ上げたのは、『地球に落ちてきた男』(1976)『戦場のメリークリスマス』(1983)で知られる脚本家、ポール・メイヤーズバーグ。本作は彼の幻惑的な語り口と、ホッジスのシャープな演出が見事に融合した、会心の一作だ。

 本国イギリスでの初公開時には、まともな宣伝もされず不遇な扱いを受けたものの、2年後にアメリカのミニシアターで公開されるや、大ヒットを記録。その年に公開された最も魅力的なスリラーとして、観客からも批評家からも絶賛された。まさに不死鳥のごとき作品である。

▲本作が出世作となったC・オーウェン

■クライヴ・オーウェン〜新たなスターの誕生〜
▲画面を引き締めるクールな存在感
 主人公ジャックを演じるのは、『ベント/堕ちた饗宴』(1997)のクライヴ・オーウェン。冷静沈着な切れ者である一方、時折見せるナイーヴでユーモラスな面も絶妙に演じている。抑制のきいたスタイリッシュな演技、計算されたボイスオーバーの台詞から醸し出される存在感は、まさしくハードボイルド。彼が醸し出す冷たく危ういカリスマ性は、『狙撃者』(1971)のマイケル・ケインを彷彿とさせる。

 本作で一躍注目されたオーウェンのもとには、ハリウッドからの出演オファーが殺到。『キング・アーサー』(2004)や『シン・シティ』(2005)といった大作・話題作に次々と出演し、瞬く間に第一級の人気スターに上り詰めた。だが、もし本当にそのかっこよさと確かな演技力を堪能したいなら、『ルール・オブ・デス』こそ最適の1本だと言える。


■3人のヒロインたち
▲美貌のギャンブラーを演じるA・キングストン
 主人公を取り巻くヒロインたちを、三者三様に演じる女優陣のアンサンブルにも注目。ジャックを犯罪計画へと導く謎の美女・ヤンニを演じるのは、アレックス・キングストン。彼女は本作に出演した直後アメリカへ渡り、人気TVシリーズ『ER』のエリザベス・コーディ医師役で大ブレイクを果たした。この映画ではオールヌードの場面も辞さずに、主人公を翻弄する女性を艶やかに演じている。

 そして、ジャックの同棲相手マリオンを演じるのは、『ひかりのまち』『ノッティング・ヒルの恋人』(共に1999)のジーナ・マッキー。知的で常識人だが、ロマンティックな幻想で相手を束縛してしまう現代女性像を巧みに演じている。また、ジャックの同僚で、彼と関係を持つ女性クルピエのベラ役を、『モナリザ』(1986)のケイト・ハーディが好演。さながらイギリスを代表する若手女優が一堂に会したような、映画好きには嬉しいキャスティングである。

▲マリオン役のG・マッキー
▲ベラ役を演じるK・ハーディ

■スタッフワーク
 本作はドイツとの合作映画であるため、カジノなどの室内撮影はデュッセルドルフ近郊のスタジオで行われた。鏡張りのカジノや、地下にあるジャックのアパートなど、セットの一つ一つにアイディアが凝らされていて面白い。これらの印象的な美術を作り上げたのは、特殊造形やデジタルVFXなども手がける才人、ジョン・バンカー。

 撮影を担当したマイク・ガーファスは、ホッジス作品には『Squaring the Circle』(1984)以来3度目の参加となる。全編を通じて寒色系のクールなルックを作り出し、鏡に囲まれたセットでの難易度の高い撮影も巧みにこなしている。

 音楽にはデレク・ジャーマン作品でおなじみの前衛音楽家、サイモン・フィッシャー・ターナーを起用。簡潔なスコアによって、映画にサイコロジカルなディテールを与えている。

■ソフトリリース
▲Arrow Film版『ルール・オブ・デス』4K UHDジャケット
 欧米では2000年代前半にDVDがリリースされており、英・Film Four Video盤には、マイク・ホッジス監督の音声解説と、イギリス再公開時のトレイラーが収録された。2022年12月、Arrow Filmは4K UHDとBlu-rayの限定版エディションを同時リリース。長編ドキュメンタリー『Mike Hodges: A Film-Maker's Life』なども収録した、監督の集大成ともいうべきコレクターズ・アイテムである(その発売から11日後、マイク・ホッジスは90年の生涯を終えた)。

 日本では、アメリカ公開前の1999年11月に、クロックワークスから字幕版・吹替版のビデオがリリースされた。よくある未公開サスペンス映画っぽいイメージで紹介されたため、パッケージだけ見ても一体どんな映画なのか、発売当時は掴めなかった人が大半だろう。すでにレンタルショップではVHSが淘汰された2023年現在、本作を観ることは残念ながら非常に難しい(少し前ならワゴンセールで保護することも可能だったが、今はそんな場所も失われて久しい)。

 日本でのソフト化権をどこかの会社が持っているのなら、ぜひともBlu-rayで再リリースしてほしい作品である。なお、クロックワークス版VHSの吹替版は非常に素晴らしかったので、ぜひともその音声込みで復刻をお願いしたい。以下はそのメインキャスト。

ジャック:大塚芳忠
ヤンニ:高島雅羅
マリオン:松谷彼哉
ベラ:佐藤しのぶ

▲日本版ビデオジャケット

Production Note

■シナリオ〜ギャンブラーからクルピエへ〜

 脚本家のポール・メイヤーズバーグは、チャンネル4のドラマ部門重役デイヴィッド・オーキンと共に、カジノを舞台にしたストーリーを作ろうとしていた。それはジャン=ピエール・メルヴィル監督の名作『賭博師ボブ』(1955)を思わせるような物語で、当初の構想では主役はクルピエではなく、1人のギャンブラーだった。

メイヤーズバーグ「私は何年もかけて、カジノ強盗を企てるギャンブラーの物語を作ろうとしていた。主人公は最後に、やっと開いた金庫の中に何も入っていない光景を目の前にする、というラストだけ決めて。だけどそんな結末のせいか、あまり上手くまとまらなかったんだ。結局、私は物語の視点を変えることにした――計画は失敗するが、それがある者にとっては良い結果をもたらす、という結末にするために。知っての通り、ギャンブルは勝つか負けるかだ。私はずっと、その両方がラストで同時に訪れるストーリーを作りたかった。最初の草案では、クルピエは一言も発しない“傍観者”だったが、やがて彼が物語の主人公となり、代わりにギャンブラーが消えたんだ」

 主人公を陽の当たらない存在=クルピエに変える際、メイヤーズバーグがインスパイアされたのは黒澤明監督の『隠し砦の三悪人』(1958)だった。彼は自ら『ザ・ラストサムライ』(1996)という作品の監督・脚本を手がけるほど、日本文化に強い興味を持っている。

メイヤーズバーグ「『隠し砦の三悪人』の主人公は、風采の上がらない2人組の腰巾着だ。日本は多くの面でヨーロッパとは考え方の視点が異なっている。私はそうした観点を作品に持ち込もうとしたんだ。元々のアイロニカルな物語のエッセンスだけは残して」

■監督を探せ
 脚本が形になると、オーキンは制作会社リトルバードにコンタクトをとり(チャンネル4は独自の映画製作プロダクションを持っていなかった)、プロデューサーのジョナサン・キャヴェンディッシュに脚本を渡した。

キャヴェンディッシュ「たちまち魅了されたね。非常に現代的な思想に基づいたモダンなストーリーでありつつ、その語り口はとてもクラシカルだ。とにかく最初の課題は、この脚本に相応しい監督を見つけることだった」

 そのとき彼らの脳裏に「マイク・ホッジス」の名前が浮かんだ。メイヤーズバーグとオーキンは何年も前から彼と知り合いで、キャヴェンディッシュもホッジス作品のファンだった。

キャヴェンディッシュ「幸運にも、3人とも彼と仕事をしたがっていた。ポールの脚本は観る者を強く惹きつける力があり、緊張感に溢れている。マイクはそれを映像で表現できる力を持っていた」

 監督オファーを受けたホッジスは、メイヤーズバーグの脚本をいたく気に入り、即座に参加を決めた。

ホッジス「それは私たちの生きている現代の社会に深く関わるストーリーに思えたし、複雑な心理的要素も孕んでいた。何より私は、クルピエという主人公に惹かれたんだ。何やらロマンティックな仕事のようにも聞こえ、様々なイメージをかき立てるが、実際のところはかなり奇異な職業だ。金をつぎ込む客と、その金を搾取するカジノの経営者を相手に、彼らはアンビヴァレントな関係性を持たざるを得ない。その見返りはごくわずかだ。舞台となるカジノは人生そのもののメタファーであり、主人公ジャックは人間の行為を鋭く観察する科学者のような存在だ。私自身にもそうした観察癖があるから、共通性を感じたよ。もろさや愚かさといった、共感もできれば軽蔑もできる人間の生態を調べるには、カジノは最良の実験ケースなのさ」

メイヤーズバーグ「私自身は決してギャンブルをしない。魅惑的だが、確実に人生を蝕むものだからだ。私は絶対に負けないポジションからギャンブルを見つめることに興味を持った。ジャックはギャンブラーたちを軽蔑していて、彼らが負ける姿を観察することが、彼にとっては刺激なのだ」

■改稿
 脚本に惚れ込んだホッジスだったが、これをさらに完璧な映画にするためには、まだ調整する必要があると感じた。彼はメイヤーズバーグと共に、6ヶ月をかけて改稿を重ねた。

ホッジス「この作品は“書くこと”についての映画でもある。初稿では、主人公の物書きとしてのリアリティがあまり感じられなかった。だからポールと私は6ヶ月かけて、ジャックが作家であるという説得力を持たせたんだ。決して偉大な作家ではない、むしろ悪い方だろう。だが彼はそれを書き上げなければならず、最初で最後の1冊と知りながら、ついに作品を完成させる。ある意味、“作家”のロマンティックなイメージだね。『PULP』(1972)で、私は主役のミッキー・キングにこう言わせた。“作家になることは素晴らしい。問題は書くことだ”と。マリオンがジャックに、フェドーラ帽をかぶったB級映画みたいな作家のイメージを託しているのと同じさ」

メイヤーズバーグ「ジャックは、クルピエとして典型的タイプとはいえない。なぜなら賭け事をしないからだ。彼にとってのギャンブルは、小説家になることだ。すべての作家はオッズに逆らい、いつかは自分の本が世に出ると信じている」

▲常に夜の表情が映されるロンドンの町
 また、ホッジスは作品の中から自然光を徹底的に排除した。ジャックの父がいる南アフリカの場面を除けば、日中のシーンは全て屋内で撮影され、ロケーションは全て夜間におこなわれている。編集者の別荘でおこなわれるテニスの試合でさえ、夜の設定に変えられた。ジャックとマリオンの住むフラットが地下階にあるという設定も、改稿で加えられた点である。

 クルピエとなったジャックが髪を金髪から黒髪に染めるという趣向も、元々は「長髪を短く切る」という設定だった。しかし、カツラを使うことを嫌がったホッジスは、熟考した末に「髪を染める」アイディアを思いついた。この変更によって、本編ではよりスタイリッシュに主人公の外見的メタモルフォーゼが表現されている。

■カジノでの取材
 メイヤーズバーグは正確な描写を期するために、実際にカジノで働くクルピエに取材して回った。

メイヤーズバーグ「作品のサイコロジカルな部分は、クルピエたちとの会話をもとにしている。最も重要な点は、彼らが自分たちの仕事をいかにつまらないものと考えているか、だった。最初は旅行や出世など期待を抱いてクルピエの職に就いた彼らも、やっていくうちに精神を蝕まれていることに気づく。まるで全寮制学校の上下関係や規則に縛られているようなものだ」

 ホッジスもまた取材のため、実際に営業中のカジノへと足を運んだ。彼はそこで、合理的にシステム化された店の有り様に衝撃を受ける。

ホッジス「以前、私がカジノを訪れたとき、クルピエは負けた客のチップを自分の手でかき集めていた。今や彼らは手ではなく、柄のついた道具を使ってチップを掃き集め、それを集計機に通じる穴へと落としていくんだ。客の目の前でね。ギャンブラーたちはまさに、自分の金がむざむざトイレに流されていくのを目の当たりにしているわけだ。しかし誰も気にしていない。捨てられていくチップには、ギャンブラーたちが何がしかの手段でその金を稼いだという、人生の一部が反映されているはずだ。その黒い穴を見たとき、私はそれがこの映画のラストシーンになると思った」

■クライヴ・オーウェンとの出会い
▲撮影現場にて。オーウェンとホッジス
 主人公ジャック・マンフレッド役に抜擢されたのは、クライヴ・オーウェン。王立演劇アカデミー(RADA)出身で、舞台を中心に活躍しつつ、『ブルーム』(1988)や『クローズ・マイ・アイズ』(1991)といった映画作品にも早いうちから主演してきた若手俳優である。

 オーウェンの確かな演技力とスタイリッシュな佇まい、そして映画スターとしてのカリスマ性は、監督を魅了した。彼はまた現場的な経験値の高さも持ち合わせており、ボイスオーバーを考慮した複雑な台詞回しも巧みにこなした。演じたオーウェン自身にとっても、本作の撮影は手応えのある経験だったようだ。

ホッジス「クライヴは並外れた役者だ。私にとってはマイケル・ケイン以来の存在だよ。まさしく理想的なキャストだった」

オーウェン「ジャックはシニカルで計算高い男だ。決して気まぐれや愚行は起こさない。とらえどころがなく、他人に多くを与えない主義で、何をするにも自衛心をもってことを進める、そんな人物だ。僕はこの脚本の表面下にあるエモーショナルな世界に惹かれた。それは決して明白なものではなく、シンプルなストーリーラインの中に、そうした感情が極めて無駄なく描かれているんだ。そしてもちろん、この仕事を引き受けたのはマイクの存在によるところが大きい。一緒に仕事していて楽しいし、彼のように経験を積んだベテランの存在は、こうした複雑なフィルムを作る現場では非常に重要なんだ」

 彼が三人称で語るボイスオーバーも、映画にトリッキーな深みを与えている。オーウェンはそれを「この作品のパーソナリティそのものだ」と語る。

オーウェン「内容を補う説明的なナレーションではなく、観客と会話をするような感じだね」

■三者三様のヒロイン・1〜マリオン〜
 それぞれにまったく違う個性をもち、主人公ジャックと深く関係する3人のヒロインたち。ハリウッドの人工的な美女とは違うムードを備えた英国女優陣の競演も、本作の見どころだ。

 ジャックの恋人マリオンを演じたジーナ・マッキーは、現実的で芯の強い(だがその中身は強引なロマンティストである)ヒロイン像を、知的にリアルに演じている。ワーキングクラス出身の社会人女性という、観客のリアリティにいちばん近いキャラクターでもあり、彼女が内包する欺瞞もまた共感しうるものである。マッキーは本作への出演動機を次のように語る。

マッキー「シナリオに描かれた曖昧さと、謎めいた感触に興味を惹かれたの。演じることでそれを解き明かしてみたかった。それと『狙撃者』を観て、マイクの創作姿勢が気に入ったから。実際の彼は健全で誠実な自信の持ち主で、とても気分のいい人よ」

▲ファンタジーで繋ぎとめられた関係
ホッジス「ジーナはとても素晴らしい女優だ。彼女が演じるマリオンは、ジャック自身というよりは彼のイメージを愛している。彼女は“作家と同棲している”というロマンティックな幻想に生きる人間なんだ。イメージは、現代人にとって特に重要なものだ。それは小説・映画・TV・雑誌などからもたらされる。その多くは、現実と正反対のまやかしじゃないかと、私は疑うがね。この作品はそうしたファンタジーに基づいた関係の、気まずい真実を暴いてもいる。マリオンは彼を束縛し、ジャックもまた彼女を手放すことを恐れている」

マッキー「『ルール・オブ・デス』は人間関係におけるコントロールと、その欠如についての映画でもあるわ。誰かと恋に落ちて、その相手が自分の思ったとおりの人間じゃなかったとき、人はその相手を理想どおりにコントロールしようとする。この映画はジャックとマリオンの姿を通して、そんな関係性を映し出しているのよ」

■三者三様のヒロイン・2〜ヤンニ〜
 南アフリカから来た美しきギャンブラー、ヤンニを演じるのは、アレックス・キングストン。あまり悪女というイメージではない彼女を、ファム・ファタール的なキャラクターに配したセンスが新鮮だ。彼女は独特のアフリカ訛りを巧みに再現しつつ、ステロタイプの悪女芝居とは一線を画すナチュラルな演技で、ヤンニ役を見事に演じた。

キングストン「私がこの役に惹かれたのは、その前に主演した『モール・フランダース/運命の女』(1996・TVシリーズ)で演じた役とは、全く違っていたから。ヤンニはとらえどころのない、謎めいた存在だわ。巧みに他人を操り、うわべとは違う人格を内に秘めた人物で、そこが気に入ったの。ジャックは、彼女と自分との共通性を即座に見出す。彼らはお互いに刹那的な人間なの。ジャックは他人を寄せ付けないキャラクターだけど、彼女はそれを恐れたりしない。彼は彼女に惹かれ、彼女も彼のことが気に入る。その表情の下に何かを隠しながらね」

ホッジス「ヤンニは詐欺師であり、その役柄を楽しんでいる女性だ。彼女はまったく善悪の概念から解き放たれていて、ジャックが抱くような好意も彼女自身が持つことはない。まるで女優のように、真実味をもって役を演じることが重要なんだ。アレックスは素晴らしかったね。彼女はとても率直な人柄で、道徳観念を持たないヤンニというキャラクターの持つ自由さを、見事に表現してくれた」

 彼女はまた劇中でフルヌードを披露しているが、ほとんど動じることなくそのシーンを演じた。あまりにあっけらかんとしているので、監督のホッジスたちの方が目のやり場に困るくらいだったという。

キングストン「ロスにいる親しい友人の1人は“整形してない女優の胸を映画館で見るなんて、ここ10年くらいで初めて”なんて言ってたわね。私はその前に『モール・フランダース』で娼婦を演じていたから、どうってことはなかったけど」

■三者三様のヒロイン・3〜ベラ〜
 出番も少なく見た目も地味ながら、強い印象を残すのがベラ役のケイト・ハーディだ。彼女はジャックと知性的にも感情的にも対等に渡り合える、唯一のヒロインとして登場する。

ハーディ「脚本にある、覗き見するような感覚が気に入ったの。一人のキャラクターの視点だけで語られる物語がね。映画のナレーター(=ジャック)は、常に自分の主観で見た他人の姿を、観客に語りかけてくる。それはとても不明確で、曖昧な見方でしかないわ。語り手がヒーローであってもなくてもね。私はベラが好きよ。彼女はとても聡明で誠実な人物だから」

ホッジス「ベラはジャックに何も望まない、まさに唯一の誠実なヒロインだ。彼女とジャックが最終的にうまくいくのは、驚くべきことじゃない。3人の中ではキャラクターについてのディテールが最も少なく、ケイトにとっては難しい役だったろうが、観客にとっては最も印象に残る人物だ」

■プロフェッショナルによる監修
▲緻密に設計されたゲームの一場面
 劇中に描かれるディテールについては、様々な部門ごとにエキスパートがついてレクチャーした。カジノ全体の監修を担当し、フロアー責任者として出演もしたデイヴィッド・ハミルトンは、実際にマネージャーとしてクルーズ船のカジノを取り仕切るプロフェッショナルである。監修のオファーが来たとき、脚本を読んだ彼は、カジノの実態とクルピエの生態が初めて描かれた作品内容に喜んだという。ハミルトンは、セットやエキストラを本物らしく見せるため念入りにチェックし、各テーブルのディーラーと客の様子にも目を光らせた。

 また、クルピエを演じるクライヴ・オーウェンとケイト・ハーディ、そしてポール・レイノルズは、役作りのために2週間の特訓を受けた。指導をおこなったのは専門トレーナーのキャロル・デイヴィス。劇中で観られるカードやチップを扱う鮮やかな手さばきは、全て本人たちの手によるものだ。特に、オーウェンのブラックジャックとルーレットの手腕には、目を見張るものがあったと監督は語る。

オーウェン「最初はハードだったが、要は画面の中で熟練しているように見えればいいことだからね。クルピエの全てに精通するというよりは、特定のシーンに必要なテクニックを習得する方に専念した」

ハーディ「キャロルとデイヴィッドは素晴らしかった。彼らの指導はとても精緻で、画面に映るもの以上の知識とテクニックを教えてくれたわ。そのおかげで、クルピエは技術的にも計算的にも大変な仕事だと分かったけど。とにかく本物らしく見えるようになるだけで精一杯だった」

■セットデザインと撮影〜鏡の中の人生〜
▲鏡張りの階段とファム・ファタール
 『ルール・オブ・デス』はドイツの制作会社が出資しているため、その分の金額はドイツ国内で使わなければならず、スタジオでの撮影はデュッセルドルフでおこなわれた。

 本編中、重要なモチーフとして随所に使われているのが、「鏡」である。特に印象的なのが、鏡張りのカジノのセットだ。容易に想像できる引用元としては、オーソン・ウェルズの『上海から来た女』(1947)などが思い浮かぶが、これは監督が実際に目にした光景から生まれたイメージだという。

ホッジス「撮影前、私は参考のためにロンドンのカジノを見て回ったが、ビジュアル的には実に退屈な印象しか覚えなかった。だが、あるときバスに乗っていると、オクスフォード通りに面したHMVの店舗ビルが車窓から見えた。そこに鏡張りの美しい階段スペースがあったんだ。即座に“これだ”と思ったよ」

 こうして鏡を多用した異色のメインセットが、3週間以上をかけてデュッセルドルフのスタジオに建設された。美術担当のジョン・バンカーはさらに付け加える。

バンカー「向かい合った鏡の壁が映し出すのは、永久に奥深く続いていくかのようなカジノの光景だ。そうやってマイクは観客に“煉獄”のイメージを伝えたかったんだ。もうひとつ、ジャックがこのカジノに入ってきたとき、鏡の中でその実像と虚像が逆転する、という意味も込められている」

▲カジノ以外でも鏡は効果的に使われる
ホッジス「鏡は独特の雰囲気を醸成する。幻想的な感覚を増幅させ、現実に見える姿とは違う何かを映し出すんだ」

 しかし当然、これは撮影クルーにとって悩みの種となった。何しろ周りを鏡に取り囲まれながら、カメラはもちろん、照明機材も一切映ってはならないのだ。しかし完成した映画では、そのカメラワークや照明効果に、限定的な要素はまったく感じられない。シンプルで無駄なく、かつ流麗である。

ホッジス「(ラスト近くの場面で)鏡の中にジャックが2人映るシーンがある。ここは私の優秀なカメラオペレーターであるゴードン・ヘイマンが偶然に見つけた画なんだ。現場でカメラワークを考えているとき、彼が“ちょっと見てくれないか”というのでファインダーを覗くと、そこに主人公のダブル・イメージが映っていた。“これだ!”と叫んだね。初めから意図したものではなかったが、そこに在るのはまさしく、ジャックとジェイク(=ジャックが書く小説の主人公)の姿だった」

■音のモチーフ
 全ての作品に印象的な音付けをしてきたホッジスが『ルール・オブ・デス』で強調したのは、ルーレットの球が転がる音である。

ホッジス「それはカジノの中だけでなく、ジャックの行く先々で聞こえる音だ。世界は計算しえないチャンスによって動かされている。そのことを示しているんだ。だから映画は、ボールが転がって落ちる音で始まり、同じ音で締めくくられる。それはこの作品の中で最も重要な音だ」

 サイモン・フィッシャー・ターナーによるミニマルな音楽も印象的である。オープニングタイトルから、主人公がクルピエに変身する場面までは、曲が一切流れない。以降もピンポイントで、波紋をもたらすような心理的効果を映画に与えている。

ホッジス「サイモンの仕事は素晴らしかったね。私は『狙撃者』の頃からずっと、シンプルな音楽が好きなんだ」

■不遇の国内リリース
 映画は完成したが、フィルム・フォーの重役陣はそれに対してはっきりと嫌悪感を示した。特に、脚本の開発当初から関わっていたデイヴィッド・オーキンの拒否反応は相当なもので、「この映画で気に入ったのはエンドクレジットだけだ」とまで言い放ったという。

 一時はビデオスルーにまでなりかけたものの、BFI(英国映画協会)が『狙撃者』を国内で再上映するというので、それに合わせて『ルール・オブ・デス』はやっと劇場公開されることになった。しかし、用意されたのはたった2本のプリント。BFIはパブリシティに関してのノウハウを持っておらず、フィルム・フォーも協力する態勢になかった。当然、何の評判も呼ばないまま『ルール・オブ・デス』は全国の劇場を回り、ひっそりと消え行く運命にあった。

 だが、奇跡は遠く海の向こうで起きた。過去20年以上、彼が翻弄され続けた国で。

■復活
 ロサンジェルスにオフィスを構える配給プロデューサーのマイク・カプランは、旧友のホッジスから送られてきた『ルール・オブ・デス』のサンプルテープを観て、その素晴らしい出来に感嘆。即座にアメリカ国内での上映を目指して動き出し、1年がかりで全米17館での公開にこぎつけた。2週間という限定公開ながら、『ルール・オブ・デス』は2000年4月にアメリカで再スタートを切った。

 タイトで知的なスリラーの登場に、評論家たちは惜しみない絶賛を寄せ、劇場に足を運んだ映画ファンたちは驚喜した。観客動員も好調に伸び、やがて上映館数は170館に拡大。ベテラン監督の劇的復活、そしてクライヴ・オーウェンという新たなスター誕生の謳い文句と共に、『ルール・オブ・デス』はその年の映画界を賑わせたのである。それはまさに、最後のゲームに賭けたギャンブラーに訪れる「起死回生の瞬間」だった。

 ところ変わって、イングランド南西部ドーセット(イギリスでは隠居地の代名詞のような地域)。ホッジスは自宅の庭に作った菜園をいじりながら、静かな生活を送っていた。そのとき、普段はめったに着信しないFAXから、アメリカでの成功を告げる報せが次々と吐き出されてきた。

ホッジス「とても現実の出来事とは思えなかった。だって英国内の劇場で公開されたときは、この映画はこのまま死んでいくんだと思ったからね。まるで『ブラック・レインボウ』(1989)のときみたいに、そんな映画など最初から作られなかったかのように」

 祝電をくれた知人の中には、『フラッシュ・ゴードン』(1980)に主演したサム・ジョーンズもいたという。

■出演者たちの反応
 『ルール・オブ・デス』の成功は、遅まきながら出演者たちのキャリアにも多大な影響を与えた。オーウェンは、当時について意味深に語る。


オーウェン「とても大きな変化だった。その頃、僕はずっとL.A.で仕事をしていて、そこで過ごす時間も長くなっていた。(役者として)イギリスでやり残したことはない。同じことを、ここでの仕事に求めはしなかった。憂鬱になるだけだからね。ハリウッドで作られる映画の現場で、なんの後ろ盾もない役者が、何かに挑んだり達成しようとしたりするなど、全くもって魂をすり減らす行為だよ。だが『ルール・オブ・デス』の後では、真摯な人たちにも会えるようになった」

 彼のその後の活躍は言うまでもない。一躍、ハリウッドの注目株となったオーウェンには、出演オファーが殺到。ロバート・アルトマン監督は『ルール・オブ・デス』での彼の演技を観て、誰よりも早く『ゴスフォード・パーク』(2001)のパークス役に起用した。そして『ボーン・アイデンティティー』(2002)での助演を経て、大作『キング・アーサー』のタイトルロールに抜擢される。以降も『シン・シティ』や『クローサー』(2004)、『インサイド・マン』(2006)と主演クラスの話題作が相次いでいるが、その演技スタイルは一貫して「人に好かれることに興味がない」人物像だ。

 一方、オーウェンはマイク・ホッジスの熱心なファンであり続け、家族ぐるみでの付き合いを続けている。彼らの交友関係は、やがて次作『ブラザー・ハート』(2003)に結実する。

 また、すでに『ER』で全米の顔となっていたアレックス・キングストンは、本作のアメリカ公開後にL.A.で行われたインタビューで、こんな風に答えた。

キングストン「何週間かひっきりなしに電話が鳴り続けて、みんな『ルール・オブ・デス』について聞きたがるの。中には3回も観たという熱狂的な人もいたわね。でも正直、何年も前に撮影した映画だから、ほとんど覚えていないのよ。確かドイツのどこかで撮影していて、ケータリングはイギリスの撮影現場よりも上等だった、とかそのくらいよ。撮影地はベルリンだったか、ハンブルグだったか……覚えているのは、仕事の後で行ったバーくらいかしら?(笑)」

 ちょうど撮影時、元夫のレイフ・ファインズとの離婚や『ER』の出演オファーなどでめまぐるしい日々を送っていたせいか、あまり具体的な事は覚えていないという。だが、彼女にとってホッジスとの仕事は良い思い出ではあったようだ。

キングストン「『ルール・オブ・デス』はとてもスマートな映画よ。監督のマイクとオーウェンがオスカー候補になるかもしれないという噂があったけど、ぜひ彼らに獲ってほしいと思った。でも、きっとチャンネル4がしくじったのね」

 『ルール・オブ・デス』は、確かにアカデミー賞に関してしくじった。アメリカでの公開1年前にシンガポールで上映され、またオランダでもTV放映されていたため、候補対象とならなかったのだ。「どのみち、あのイベントは好かんよ」と、ホッジスは笑う。

■その後の展開
▲英国盤DVDジャケット
 アメリカでのヒットを受けて、イギリスでは2001年6月に上映館を大幅に増やして凱旋公開。手配したのは、D・オーキンに代わってチャンネル4の重役となったポール・ウェブスターだった。彼はまた、同時期に幕を開けたホッジス脚本・演出の舞台劇「Shooting Star and Other Heavenly Pursuits」の宣伝も無償で買って出た。

 再び脚光を浴びたホッジスの元には、ハリウッドから数々のオファーが舞い込んできた。しかし、彼はその全てを断り、パラマウントからの出資を得て、自らの企画『ブラザー・ハート/I'll Sleep When I'm Dead』の制作に着手する。

 また、2002年には彼にインタビューしたバイオグラフィー本「The Cinema of Mike Hodges」が出版され(←このサイトの元ネタ)、過去の監督作品も次々にDVD化。音声解説やインタビューの仕事にも引っ張りだこ状態である。


Review

 『ルール・オブ・デス』は憎らしいほど良くできた映画だ。クラシックなスリラーの風貌をまといつつ、人間の運命をスマートに哲学する(邦題はそういう意味で直球ど真ん中)。といっても一筋縄ではいかない、ホッジスらしい魅力的な非情さと、ツイストのきいたユーモアを随所に湛えているのが嬉しい。主軸となるべき犯罪計画それ自体はさらりと流し、エンディングではフィルムノワールのお約束も鮮やかに裏切ってみせる。

 時に人生はギャンブルに喩えられるが、本作の主人公ジャックは、そのゲームを仕切るクルピエである。この奇妙な立ち位置が『ルール・オブ・デス』の新味といえるだろう。彼のシニカルな表情にあるものは、ノワール的な自滅志向とは異なる、クールな確信だ。決して負けないことが、彼の才能なのである。

 常にギャンブルの傍観者であり続けるジャックは、恋人マリオンの「敗北」をも見届ける羽目になる。ゲームから降ろされてしまった彼女のために、ジャックがすべきことはもはや何ひとつない。ヤンニや父のように、自分の「配当」を享受する以外には。

 この映画が面白いのは、ジャックが単に「カンはいいが、それだけの男」としても描かれる点だ。明らかにヤンニが自分を欺いていると分かっていても、結局は見事に騙されてしまう。彼自身がそのスリルを楽しんでいるのだ。なかなか普通の映画ではお目にかかれない主人公の態度ではないだろうか?

 よって、映画に訪れるエンディングは“破滅”ではない。自嘲的に己の運命を受け入れるジャックの姿は、まさにノワール・ヒーローそのものだが、その結末は、「全ては確率が支配する」というこの世の不条理な法則を通過した、ピカレスクな“ハッピーエンド”だ。

 ジャックの心に開いた風穴は、当世の観客にとってリアルに共感しうる感覚だろう。それは劇中の台詞に倣えば「良心」のあった場所かもしれない。自分ではどうにもならない冷淡さを抱えたまま、彼はクルピエとして生き続ける。人間的にマシな奴に成長したりもしない。だから最後まで魅力的なのだ。



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